雲雀

 自宅から自転車に乗って約20分、相模川を渡る国道一号線の橋を平塚市側に渡ってから、河川敷を少し北上すると「イシックス馬入のお花畑」があります。相模川は別名馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれ、そのいわれは、源頼朝の馬が突然川に入り頼朝が落馬したところから、だそう。朝、8:30頃に家を自転車で出て、写真を撮りに行ってきました。ちょうど通勤通学の時刻で、私の前を男子高校生とその後ろに女子高校生が学校に向かって自転車を漕いでいきます。国道一号線をなるべく使わず、住宅街のなかの道を進みます。彼らのあとを付いて行きます。実は私はその住宅街の中の道筋をよく知らない、けれど、彼らはどうやら橋を渡って平塚市側へ通っていると思われたので、そしてそれはその通りだったのです、だから付いて行きました。相模川にかかる国道一号線の橋は、どこの橋でもありがちな、川の(橋の)真ん中がいちばん高いから、橋に差し掛かり真ん中までは上り、そこから下り、でもたいした坂ではない。その緩やかな上り坂で、とうとう彼らに付いて行くことが出来なくなった。男子高校生に遅れるのはまぁ当然だとして、女子高校生にも完全に付いていけなくなりました。ふとももやふくらはぎに疲れが溜まって来るのがよくわかり、どうにもそれ以上早くは漕げなかった。相手はティーンエイジ、こちとらお爺さんなのだから、当たり前ではありますが、うーん、ちょっと悔しいという気分でもありました。

 最近は、こういう花を撮るときにはAFレンズを使う必要がない、必要がないというかマニュアルフォーカスのレンズ、ピントを合わせるためのリングを回しながら、ファインダーのなかでピントを動かす経過を見るのが楽しいのです。こんなことはこのブログに何回も書いている。すごく早く動く被写体をちゃんと撮るという行為ではないから、マニュアルフォーカスレンズの方が楽しくなる。そんなわけで、80年代にたくさん買った、いまやオールドレンズと呼ばれるレンズを使ってばかりです。

 ヒバリが鳴いています。あいかわらず忙しく羽根をぱたぱたやって、だけど泳げない人がプールのなかでじたばたしているように、空の中でじたばた飛んでいる。じたばたのわりに鳴き声はとても美しい。

 雲雀と書きますね。

 

高台の公園

 神奈川県中郡大磯町は太平洋(相模湾)に面し、明治の頃には、その海が見渡せる場所に、大隈重信西園寺公望伊藤博文の邸宅(別荘)が建てられた町。日本で最初の海水浴場が開かれた町でもあり、最近では村上春樹氏の家も、あるとかないとか。その大磯町で第18回目の「オープンガーデン」が開催されていたので、行ってみました。駅前でマップをもらい、そのうち大磯駅エリアを回りました。このイベントに協力している個人宅やカフェや歴史的建造物の庭に咲き乱れている花々などを見て回れるイベントでした。快晴で暑い日。五月って、平均気温通りの日なんか滅多になくて、暑い初夏の日と、季節がひとつきふたつき戻ったような寒い日が、交互にやってくるから、気温の分布棒グラフを作ると、平均気温を中心とした正規分布ではなくて、寒いところと暑いところにふた山が出来る分布になっているんじゃないか?

 写真はオープンガーデンに参加している場所ではなくて、そういう場所を辿っている途中にあった高台の公園で撮っています。シロツメグサが咲いている、海が見える、写真には写っていませんが富士山も見えました。たまにひとりかふたり、人が来て、しばらくしていなくなる。風が吹くと木々も草も揺れる。

 するとなんだかとても懐かしくなる。この場所が具体的にいつかのどこかの場所に似ているってわけではないんです。エピソード記憶を呼ぶわけではない。もっと抽象的にこの場所の全体が五感に働きかけて来る。全体が漠然としていて確たる懐かしさを呼ぶのです。あぁ懐かしいな、と思いました。そう思いながら、カメラのファインダーをのぞく、古いレンズを付けてあります。古いレンズはオートフォーカスじゃないから、ピントリングをぐるぐる回して、その目の前の懐かしい光景のピントをぼかしてみたり合わせてみたり。オートフォーカスだと瞬間でぴっと合ってしまう。あるいは、オートフォーカス機構には判断を迷うような被写体だと、今度は思いもしない高速迷走をする。その様子をファインダーで見せられると、なんだろう、まぁ普通列車でゆっくりと車窓風景を楽しみ、ときには駅弁を食べたり昼寝をしたりしながら旅をするのではなく、もう、分刻みのスケジュールをこなすために、高速移動手段(飛行機や新幹線)を使う感じ。しかも移動中にも仕事が出来る席でノートPCを開いているような。時間かかっても、手の動かしたピントリングの動き通りにファインダーのボケが動くのを見るのが、こういうときは楽しいです。普通列車の旅のように。

 良き土曜日でした。

つばめ

 ゴールデンウィーク中の快晴のある日、新宿駅から渋谷駅まで、途中にふたつ、観たかった小さなギャラリーでの展示に立ち寄りながら、カメラをぶら下げて散歩をしました。途中、原宿から渋谷までは買い物客や観光客で大賑わいだった。千駄ヶ谷北参道駅近くは人通りも少なく、のんびりした休日の感じがちゃんと在りました。そのあたりで、鳥の囀る声に、真上を見たらつばめが一羽電線に止まっていました。40mmのレンズを付けていたので、これ、少しだけトリミングして50mmくらいの画角になっていますが、つばめは小さくしか写らない。よく見ると、あるいはピッチして見てもらえれば、つばめの尾羽がふたつにピッと分かれてるのが写っています。なんかこのBSと地上波のアンテナのある景色も、だんだん古めかしい景色になってくのかな?

 すこし前に一穂ミチの「光のところにいてね」と「スモール・ワールズ」を読みました。もとはどこかの文庫の202×年短編セレクトといった感じの本にこの方の作品がひとつ、収録されていて、それが面白かったから買ってみた。そしてこの二冊、両方ともとても素晴らしかった。作家の持っている、なんていう単語が適してるのかな、ピッチャーで言えば球種の豊富さのような、いくつもの持ち手があって、あるときは精緻に組まれた人間ドラマであり、あるときは会話で構成される純文学の味わいになり、懐の広さを感じて、すごい作家が出てきたものだ、とすっかり感心。

 そのあとは連休にすこしは読書時間がとれるだろうと、買ったまま積ん読状態だった厚い単行本の、滝口悠生の長い一日を読み始めています。これまた、面白い。小島信夫保坂和志磯崎憲一郎、からの滝口悠生というような。日々の当たり前をほじくり返して丹念にその背景の、いつもは気にもしない心の動きを見つめていくと、なにも起きなくても、何かが起きていて、それをどう見るかどう感じるかにより、世の中の認識は千差万別、そういうことですね。

 つばめの幼鳥が巣立ち、彼らがどこかにいったん集結して、渡っていくまであとどれくらいか、わたしはすぐにはわからない。良い季節が過ぎていきます。

 

 

 

新緑が揺れる

 カメラ用語で言うところの大口径レンズの大口径にした状態(明るい絞り値を開放にした状態)でファインダーを覗くと、目で見えた「そこ」と、撮影レンズを通した像となった「そこ」は違う世界だなと思う。特にピントの合ってないところが。そう思うのは人の目で見た「そこ」のピントがぼけているところを見ようとしても、人の目はオートフォーカスだから見極められない、もしくはとても難しいし、近視用メガネを外して、0.1以下の視力で「そこ」を見てもこんな風には見えない。ぼーっとしてはっきり見えないが、私の場合だけなのか、乱視も入っているからか、物が何重にも重なって見える感じになるが、こういう丸ボケは近視であってもこうは見えない。カメラのファインダーを覗いて、こういう風に大きくピントを外して、丸いぼけばかりの画面にし、そこに風が吹いてきて、この丸ボケが海月が水のなかを漂うかのごとくゆらゆらと動いたり明滅するのはとてもきれいだ。だから今日はどこにもピントの来ていない写真を載せてみました。撮るときだって、これをこうして撮りたくて、シャッターを押したから、失敗写真でもなんでもない、私が撮りたかったのがこれなのです。

 5月4日、土曜日。午後7時頃から10時過ぎまで、昼寝というのか遅い昼寝というのか、なんだか眠気に勝てずに寝てしまいました。昨晩、U23のサッカー中継を深夜テレビで眺めていて寝不足だったのかもしれない。

 起きて、遅い夕食を食べました。NHKテレビ、EテレだったのかBSだったのかな、フジコヘミングを取材した1999年のNHKスペシャルが放送されていて、2000年に市川準監督の「ざわざわ下北沢」という映画が撮られているのですが、そこにもフジコヘミングが登場していて、このテレビ番組とこの映画がほとんどシンクロするよう。ドキュメンタリーでも映画でもフジコヘミングは同じ自分をあるがままに、そこにいるのでした。映画は脚本があるものの、主人公がたしか祖母役のフジコヘミングを訪ねて行き、そこで彼女が話すことは、決まった台詞がないように思える、下北沢の印象を自由に話している。話している内容こそ違えど、番組と映画とでフジコヘミングが話していることをこっそり入れ替えても、なんの違和感も起きないんじゃないか?と感じるくらい同じで、これはもう人として自分をありのままただ出しているという強さのせいなのだろうな、と思いました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 そのあとに今度は五味太郎のドキュメント番組になり、これは昨年放送されたときも見た番組の再放送だったが、五味さんがチェロを、パートナーの女性がピアノを弾いたデュオ演奏されるトム・ウェイツのクロージング・タイムが素敵だったなあ。みんなは自由に楽しめばいいのに、なんで先生の評価をもらいたいと思うんだろうね(もらわないと安心できないんだろうね、だったかも)、自ら自由を棚上げしている、と言うような感じのことをおっしゃっているのが印象的でした。NHK俳句の本を捲りながらそう言っていた。

 すっかり夜更かし。

写真とは

 4月29日みどりの日、晴れのち薄曇り。JR東日本横須賀線逗子駅から年若の友人と二人で、写真を撮りながらぶらぶらと歩き、わっぱ定食をSeedlingで食べ、みさきドーナツをひとつ買い、葉山マリーナは通り越し、イヌイットコーヒーロースターで珈琲をテイクアウトし、とんびに襲われながら砂浜でドーナツを食べる友人を笑い(自分はまだ食べない)、森戸神社にお参りし、神奈川県立近代美術館葉山で吉田克朗展を観て、小磯の鼻まで歩き、バスで逗子駅に戻り、勘で選んだ居酒屋「ざくろ」でそら豆や筍やほたるいかを食べ満足する、という一日を過ごしました。薄曇りのフラットな光線もいいな、と思いながら、例によってワンパターンの人が小さくちらばって写っている写真を撮り歩きました。カメラはミラーレスのデジタルカメラだけれど、レンズは70年代のオールドレンズで、そのせいかなんとなく黄色というか茶色というか、色が転んでいる感じがしますね。でもこれそれこそ70年代頃の日本で撮られたニューカラーっぽい写真の「感じ」がする。

 70年代。たとえばUSAに本当のウェストコーストロックがあって、それに影響を受けた日本のバンドが演奏した当時の曲を今聞くと、あぁこういうふうにみんな追っかけのように憧れの洋楽を自分たちで「本場らしく」演奏していたんだよなあ、でもやっぱり日本的なんだよなあ、と思うのと似ている。そしてその「日本的」から脱しきれない演奏が、それはそれで独自性があって今聞いても面白い。その今聞いて面白く聞こえる「70年代の日本人が真似ていたウェストコーストロックっぽい感じ」を、2024年に再現したような二重構造的な曲があったとする。そういうことが写真にも起きたのが、この写真に見えました。これはレンズの特性がたまたまそう写ったことに寄与したのか、それとも、日本の今日のこの場所が持っていた色温度が西洋とは違って日本らしさを色温度として持っているのか。

 少なくともわたしの撮影技法とかはまったく無関係にカメラとレンズとこの場所がそういう写真を作ったということです。適当に小磯の鼻(この場所の名前)に向けてシャッターを押したのが自分だというだけで、その行為は写真のアシスト的な行為に過ぎないんじゃないか。もう圧倒的にこの場所がこういう風に推移していまここにあるということ、それを舞台で演奏したり歌っているアーティストに例えると、そこにカメラを向けてシャッターを押すなんて行為はたかだか客席の一人の客の一回の手拍子に過ぎないよなあ。

 この殺風景な写真ではなくてもっと誰もがすぐにきれい!と思う絶景風景写真。そういう絶景風景写真をずらりとカメラを並べて誰もかれもが同じ瞬間にシャッターを切って、しかもこうやって撮るべきという先生の指南があるような、その結果たしかにすごく美しい写真が皆さん撮れました、だから嬉しいとか褒められて意気揚々とか、そういうことってどういう理屈なんだろう?有名観光地に行くとフォトスポットとして足跡が示されていたりスマホを置く台が設置されていて、そこで差異のない「いい写真」を撮ることってなんだろう?少しでも違いを生もうとカメラを低く構えて水たまりを水鏡にして・・・・でもそれだって誰かがSNSに手法を発表した途端に既存の真似しんぼになるんだけど、なのに満足できるのはどうしてか?観光地のガイドさんが「では以上で説明は終わりです、あと五分ほどあるので、皆さんあそことあそこがポイントですよ、さぁ写真を撮って」と言うのはどういうことか?

 というようなことについて、先日KG+のとある展示でそのことを考えながら作品をまとめていた写真展があって、その方は、それはもう人が撮った同じ写真で共通の「いい」写真なのだとすればAIに任せればその本意をくみ取っていい写真が作れるはずとばかり、有名観光地で撮った写真からのコラージュを、AIにやらせた作品を並べていたんだけど、なんだかとても皮肉っぽい行為であり、でもその発意はなんだかとても共感しました。

 写真を撮ることなんて、風景や光景の素晴らしさに対して、一人の観客が手拍子をして応援しているようなものだな、と、これ今日の気づき。明日になればまた違った考えをするんだろうな。

 こう考えてくるとやっぱりコンセプトのようなことを定めて作家の表現意図を持ってそれに沿って撮るということがなければ、写真の表現とは言えない・・・のかな?

 とかね・・・やれやれ小難しいことを・・・

本当に読んだのかな

 なんだかちょっと気持ち悪くも見える、ぬめっとした凹凸のある表面ですが、大磯町(神奈川県の相模湾(太平洋)に面した町)の海で撮りました。海面の凹凸なんて季節に関係なく、同じような風が吹いていれば、同じような波が立ち、同じように写真に写るのだと思いますが、でも「春の海ひねもすのたり」と言うように、なんだか少し海水に粘性があって、それで表面のうねりの変化速度がゆっくりになっているかのように見えました。先日、日曜美術館の再放送で福田平八郎の漣の解説を見ていたので、こんな写真を撮ってみたんだろうと思います。

 昨日は横須賀市文化会館で私も参加している写真同人ニセアカシア発行所の新作写真集ニセアカシア9草迷宮をお披露目し、少部数出版物ですが、多くの方にお買い上げいただき、ありがとうございました。

 今日の日曜日は昼間に隣の市に住む妹と会ってランチを食べながら近況報告をしあい、その後、一人で大磯まで。漁港の駐車場に車を停めてから、上の写真を撮った漁港や海岸をスナップし、たまたま道沿いの掲示板で見つけたガラスの器の展示会に寄ってみたら、そこはこじんまりした新しい白壁のギャラリーで西からの日差しが差し込んでガラスの器の作り出す影が床や壁にゆれていて、海面に次いでまたもゆらゆらとゆれるうつろいを見ることになりました。ギャラリーの入り口あたりで蚊よけに蚊取り線香を焚いている。ギャラリーオーナーの若い女性が、私は蚊取り線香を付けるのが下手で一日に何度も火が途絶えてしまう、とおっしゃっていました。だけど一度火が付いた蚊取り線香がその後、火のつけ方が悪かったことが理由で消えやすくなるはずはないと思いました。ちょっと変な話。

 昨日は、古本も売って良いということだったので、いつかBOOKOFFに売りに行こうと思って車に乗せてあった、紙袋二つ分の主に文庫本、少しの単行本、から何冊かを適当に値段を付けて・・・アマゾン最低価格相当にしておけば送料がかからないからお買い得・・・並べました。するとけっこう売れて、たぶんBOOKOFFに100冊売ってもらえる金額分くらいを、10冊くらいで売り上げました。それはさておき、びっくりしたのは、BOOKOFFに売るつもりの本は、もちろん読み終えた本で、これだけは絶対持っておこうという執着までには至らなかった本ばかりなわけですが、それらの本の多くが、もう中身を忘れている、ひどい場合はその本を本当に読んだだろうか?と疑心暗鬼になる。そして、文庫本のカバーの裏に書かれている解説を読む。そこを読んでも読んだ記憶が蘇らないうえ、そこを読むとやけに面白そうだったりするのです。それで熟れなかった古本のうちの二冊を、ふたたび車に積んでしまうのではなく、部屋に持ち帰ってしまいました。本当に読んだのかな?たとえば中島京子著「ゴースト」と言う本。カバー裏には「風格のある原宿の洋館に出没する少女、激動の20世紀を生き抜いたミシン、すこしぼけた曽祖父が繰り返す「リョウユー」の言葉・・・。多彩な切り口で戦禍の記憶を現代に蘇らせる、ユーモラスで温かくてどこか切ない7つの幽霊連作集。」とあります。面白そうです。そして読んだ記憶がまったく残っていないのでした。どうなの、これ?

 上の写真になる前の元のデータはこんな感じのカラー写真です。

 もう夜になってもずっと窓を開けている。

 

ブックフェアに出店のお知らせ

 四月二十七日土曜日に横須賀市文化会館で開催される横須賀ブックミュージアムに、私が同人として参加している「写真同人ニセアカシア発行所」が同人五人による写真集ニセアカシア9号のお披露目を目的に、出店いたします。お時間ある方は、是非お立ち寄りください。

 今回の号は泉鏡花草迷宮を題材にあらたに撮影した写真で組んでいます。よろしくお願いします。