〈春と誕生(分析編)〉エロスの目隠し


今回と次回、2度に亘ってエロス(キューピッド)の分析をします。
前回書きましたが、この部分が分析編の肝すなわちハイライトです。
この話を信じることが出来れば〈春〉の解明に辿り着けますし、そうでなければ謎は謎のままです。
ボッティチェリは9人の登場人物中、なぜ1人だけ幼児の姿で描いたのでしょうか?


                       春と誕生_エロスの目隠し

〈春〉のエロスはなぜ目隠しをされているのだろう。この表現は他の画家の事例もあるようだが、美術書等では「愛の矢を射かけて神々を恋の虜にする悪戯のために、母のヴィーナスによって懲らしめとして目隠しをされた」などと説明されている。「恋は盲目」といった抽象的な言葉で読者を煙に巻く解説もある。しかし、それらはどれもみな絵を描かない人たちの発想である。画家の考え方はこれとはまったく違っている。ボッティチェリがエロスに目隠しを描いたのは、男神が「見えない」ことを表現するためなのだ。

画家は時として「見えない」モチーフを描かねばならない。分かりやすい例は受胎告知(聖告)の天使だろう。キリスト教世界における天使は、人の目には見えない存在である。

イエス・キリストの神性を保つため、聖母は処女のまま(男女の交わりなしに)身籠るとされている。そこで、神の子を宿すことを予告するため、天使ガブリエルがメッセンジャーとして使わされ、マリアがこれを受け入れるというエピソードだ。西洋絵画において繰り返し取り上げられるテーマである。

言葉で懐妊を予告するのは簡単だが、漫画と違って絵画にセリフを書き込む訳にはいかない(古くは文字入りの受胎告知も存在した)。天使が描かれていなければ、聖母は啓示を受けるだけなので(内面的な問題だから見た目の変化はない)、見る側には聖告があったことが分かりにくい。

では、この場面をどのように絵にするのか。その答は翼や光輪にある。それらの表徴とともに描かれた人物が天使であり、イコール見えない存在というのが画家たちの不文律だ。

かつて教会は、文盲無学の教徒に絵を使って教義を教えねばならなかった。導師は、翼とともに描かれた人物を「見えない」と指摘することで天使の存在を正当化したのである。

ボッティチェリと同時代のシチリアの画家、アントネッロ・ダ・メッシーナ(Antonello da Messina 1430頃-1479)は〈受胎告知を受けるマリア〉で、天使を描かず、聖母のポーズと表情のみでその瞬間を表現している。私はメッシーナの手法に断然リアリティーを感じるが、画家の技量が伴わない時代には、滑稽な絵しか描けなかったに違いない。

ギリシア神話男神エロスも、天使と同様、人間には見えない存在である。エロスはまたアプロディテとその恋人アレスの息子の美青年ということになっている。今はまだ明かせないが、ボッティチェリが選んだテキストでは、男神はほとんど例外なく青年の姿で描写されている。しかし、エロスが見えない方が画家にとっては都合が良かった。そこで彼は、テキストの一般的な表現形式からあえて逸脱し、幼児の姿で男神を描いた。このモチーフは、絵の中に青年のエロスが存在することを告げるための記号である。目隠しというシンボルを用いて、画家はエロスの実体が「見えない」ことを表している。

最近はあまり見かけなくなったが、以前はよく民家の玄関先に「犬」と書かれた四角い紙が貼ってあった。泥棒よけが目的なのだろうが、「犬」という記号が、どこに潜んでいるのかは分からないがその存在を暗示していたのだ。〈春〉に描かれた幼児のエロスも、これと同じイメージである。

 

〈春と誕生(分析編)〉事実関係

今日から4月です。学生時代の友人はSNSで「私はドジャーズと契約し、大谷翔平選手の専属通訳になることが決定いたしました」なんてホラ吹いてました⁉
先月末、京都にもようやくサクラの開花宣言が出ましたが、昨年が早かったせいか、今年ほどサクラの花を待ちわびる年も珍しいですね。

さて本題です。
〈春と誕生〉の分析編では、1つの言葉(タイトル)と4人のキャストを掘り下げていくのですが、残すところ、エロス(キューピッド)とヘルメス(マーキュリー)の2人の男神だけとなりました。エロスの解説部分は、分析編のハイライトとでも言うべき箇所ですので、前後2回に分割しようと考えています。その前に、これまでわざとすっ飛ばしてきた、冒頭の章「事実関係」をアップすることにします。


                         春と誕生_事実関係

〈春〉の分析に入る前に事実関係を把握しておくことにする。ただし、現時点で分かっていることはそれ程多くはない。

〈春〉(イタリア語でプリマヴェーラ:la Primavera)は今から約540年前、1477~78年頃に、イタリア・ルネサンスの中心都市フィレンツェにおいて、サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli、本名:Alessandro di Mariano di Filipepi 1444/5-1510)の手で描かれた。

207cm×319cmの大画面を、テンペラ画(下地は板)の技法で仕上げるのに要する時間は、およそ1年程度と言われている。ただし、構想にかけた時間や、隅々にまでこだわった絵のディティールからすれば、完成までにはより多くの時間を費やした可能性もある。

この絵は現在、フィレンツェウフィツィ美術館に所蔵・展示されているが、以前はフィレンツェ郊外にあるメディチ家のカステッロ荘に、〈ヴィーナスの誕生〉とともに飾られていた。2枚の絵が美術館に入ったのは1815年のことで、その後一旦、ミケランジェロダヴィデ像で有名なアカデミア美術館に移されたが、19世紀半ばのラファエル前派らによるボッティチェリの再評価を受けて、1919年には再びウフィツィに戻されている。

〈春〉が人々の注目を集めるようになったのはここ150年ばかりのことであり、それ以前の400年近くは、目にした人さえ数少ない、俗に言う忘れられた絵画だったのである。制作当時の記録は何も残されておらず、所有者の伝承も途絶えた現在、制作動機や委嘱者については何も分からない、というのがいつわりのない実状だろう。謎の絵と呼ばれる所以である。

ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari 1511-1574)が著した「美術家列伝(第一版、1550年)」に、「カステッロ荘に2枚の絵が残っている」と記されたのが〈春〉に関する最初の記述だと以前は考えられていた。〈春〉という画題も、「列伝」中の「春を表している」という漠然とした表記に由来するというのが定説のようだ。

カステッロ荘はメディチ家傍系のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici 1463-1503、以降ピエルフランチェスコ)の所有で、彼が別荘を手に入れたのが1477年頃(当時14歳)だから、〈春〉はそれに併せて描かれたという説が一般的だった。もちろん、様式論的な裏付けがあっての話である。

ところが、近年明らかにされたピエルフランチェスコと弟ジョバンニの財産目録によって、ヴァザーリが目にする以前の1499年には、カステッロ荘ではなくフィレンツェ市内の邸に〈パラスとケンタウロス〉とともに飾られていたことが判明する。

そこで、別荘購入に代わる制作動機として考えられたのが、1482年7月のピエルフランチェスコの結婚である。以来、〈春〉と結婚は切り離せない関係となってしまった。美術書や画集で目にするこの絵の解説は、ほとんどが「結婚」や「愛」を主題とするものと言って差し支えないだろう。

誤解のないように断っておくが、この段階で事実と認定できるのは、「1499年にピエルフランチェスコが、フィレンツェ市内の邸に〈春〉を所有していた」ということのみで、その後、カステッロ荘経由で(最終的には)ウフィツィ美術館に入った、というのが事実関係のすべてである。

ピエルフランチェスコが絵を所有していたという事実。〈春〉という画題から受けるイメージ。様式論から推定される制作年代に近い所有者の結婚時期。これらを総合して、ピエルフランチェスコ結婚説が提出されたのは、まことに自然な成り行きと言わざるを得ない。絵の主役が一組の男女で、他の人々がそれを祝っているような構図なら決定的だったろう。しかし、〈春〉の構図はそうではない。

そこで、解説者たちは絵の中にむりやり結婚を見つけ出そうとする。美術書や画集には、ゼピュロスによるクロリスの略奪婚や、エロス(キューピッド)の矢を受けた三美神の1人がヘルメスと恋に落ちる話がもっともらしく語られている。しかし私には、いずれも制作動機に合わせたいがゆえの「こじつけ」に思えてならない。

実は〈春〉には、まだ誰も気づいていない結婚の場面が描かれている。しかもそれは、最高神ゼウスが認めた正式な結婚である。

すべての答は絵の中にある。それを読み解けば委嘱者も制作動機も浮かび上がってくるよう、画家は見事に仕組んでいる。

〈春と誕生(分析編)〉右から2人目の女性

アブストラクトで指摘しましたが、〈春〉という絵が解読できない最大の理由は、右から2人目の女性を取り違えたことにあります。いったい彼女は誰なのでしょうか?

絵から分かることは、西風にさらわれた(運ばれた)ことのある人物ということでしょう。その回答として、これまで彼女はクロリスと考えられてきました。しかし、ギリシア神話の中で、ゼピュロスに運ばれたことのある女性は他にもいます。

彼女がクロリスなら、(西風以外に)絵の中で関係がある神はフロラだけです。なぜなら、ギリシア神話の大地の精クロリスは、ローマ神話の花の女神フロラと同一人物と考えられているからです(「春のキャスト」で指摘)。

しかし、ギリシア神話に詳しい方ならお分かりかもしれませんが、私が考えている女性であれば、エロス(キューピッド)とアプロディテ(ヴィーナス)と密接に関係しており、三美神やヘルメス(マーキュリー)との繋がりも説明することができます。



                       春と誕生_右から2人目の女性

ボッティチェリは〈春〉にギリシア神話(1人だけローマ神話)の神々を描いている。したがって、テキストはギリシア神話だと考えるのが一番素直である。研究者たちも、おそらく最初は神話中にテキストを見つけ出そうと躍起になったに違いない。しかし、それが果たせないことが分かると、他の文献を探しまわった挙げ句、現在では〈春〉のテキストは「失われた」と考えているようだ。しかしながら、古代以来誰一人手がけたことのない異教世界の神々を描く大作に挑もうとして、画家がその典拠を求めた時、神話以外の拠り所などいったいどこにあったというのだろう。

〈春〉のテキストは必ずやギリシア神話の中にある。ボッティチェリという人は、〈ユディトの帰還〉、〈ホロフェルネスの遺骸発見〉、〈システィーナ礼拝堂の三壁画(キリストの試練、モーセの試練、反逆者たちの懲罰)〉、〈ダンテの神曲挿絵〉、〈ラ・カルンニア(誹謗)〉などの作品からも想像できるように、文学を絵画にすることを好むタイプの画家だったのである。

彼女の手がかりを〈春〉の中に求めるとすれば、それは右隣のゼピュロスだろう。すなわち、彼女は西風に運ばれたことのある人物に違いない。これだけのヒントで彼女が誰なのかピンときた方もおられるかもしれないが、ヒロイン探しは後まわしにして、ここでは彼女の特徴を詳しく分析していくことにする。

彼女の特徴はいろいろあるが、まず気づくのが、整然と並ぶ神々の中でなぜ1人だけこんなに複雑な姿態をしているのかということだ。彼女はとても忙しそうに見える。

クロリス説なら、この場面は彼女がゼピュロスにさらわれていくところだろう。しかし、クロリスがゼピュロスから逃れようとするシーンを描くのであれば、こんなポーズは考えられない。それなら、彼女の両手は西風を拒むように、彼の方に突き出されるはずだ。意味はもちろん「来ないで」である。

逆にゼピュロスが彼女を地上に下ろす場面と考えられなくもない。もしそうだとすれば、彼女は両足で着地すべきだろう。顔も左を向いていた方が安定感がある。なぜ彼女は片足立ちで、左側に転びそうなバランスで描かれているのか。

次に不思議なのは彼女の右手首である。美術史家の矢代幸雄(Yashiro Yukio 1890-1975)は、大著「サンドロ・ボッティチェルリ」の中でこのディティールを次のように解説している。「そこでは驚くフローラが美しい曲線を描いて腕を伸ばしている。その腕は、白い手それ自体が苦しんで助けを求めて叫んでいるかのように、突然上向きになって終っている。この手首の返しは、急激な一瞬にのみ可能であり、全体の曲線の頂点として効果的に用いられた。」

フロラ説の矢代は、彼女が西風の出現に驚いて右手首を返したと考えているようだ。しかし、何かに驚いた時、人の手はそんな動きをするだろうか。左側に転びそうになったので右手に力が入った、と解釈した人がいたが、まだその方が説得力がある。

私の考えはまったく違っている。この右手は何かを摑んでいるようにしか見えないのだ。

ちょっと脱線して右手の話を続けよう。まずは上の図版の説明から。すべてボッティチェリの筆で、左から順に〈受胎告知〉の聖母(ウフィツィ美術館蔵、比較のため右に45°回転させている)、〈春〉のアプロディテ、〈春〉の右から2人目の女性の右手である。

画家はアプロディテにも右手首を曲げるポーズ(中央)を取らせている。しかしこちらは女性らしい自然な仕種であり、図版からも分かるように、受胎告知におけるマリアの伝統的なポーズ(左)とよく似ている。ボッティチェリは女神の衣裳、右手をかざす仕種、光背を彷彿させる樹木のシルエットによって、彼女に聖母のイメージを与えている。これはどういうことなのだろう。

さらに、2人目の女性の両手をクローズアップすると、そこには彼女の手を通してフロラの衣裳の柄が透けて見えている。辻邦生(Tsuji Kunio 1925-1999)は、小説「春の戴冠」の中でこのディティールを取り上げ、乙女(2人目の女性)がフロラに変容する場面だと説明している(クロリス→フロラ変身説)。

最後は、彼女の口からこぼれ落ちる切れ切れの草花についての分析である。

オウィディウスの「行事暦(祭暦)」には、フロラが話し始めると「口からは薔薇の息があふれ」という描写があった。薔薇の息というのは香りのことだと思うが、画家はそれを薔薇の花そのもので表現したのだろうか。一歩ゆずって、もしそうだとすると、他の花も一緒にこぼれ落ちているのはなぜか。クロリス(変身)説では、この草花がやがて右から3人目の女性(この場合はフロラ)の衣裳につながっていくと解説している人もいるようだが、どう贔屓目に見てもそんなふうには見えない。

口から何かを出すことを「吐き出す」と表現する。つまり排泄、老廃物のイメージである。草花が切れ切れなのもこれを裏付けている。私はこの切れ切れの草花を、彼女が捨てていく「何か」だと解釈する。

祝!直木賞(拝啓 万城目学 殿)


昨秋、「拝啓 万城目学 殿」と題した記事をアップしたのですが、ちょっと女々しい感じがして、取り下げてしまいました。

最新作「八月の御所グラウンド」を、今まさに読んでいる最中なのですが、そこに思いもよらぬニュースが飛び込んできました。

という訳で、先の記事を復活させることにしました。

 

鴨川ホルモー以来、長きにわたってお世話になっております(私も京都の人です)。

現在は、エッセイ集「万感のおもい(夏葉社)」を拝読中。

その中にとても引っかかる言葉が…

 

『料理に限らず、小説でも、映画でも、音楽でも、人の心がいちばんよろこぶのは、それまで経験したことのない、質の高い、新たなたのしみに触れたときだと思う。

しかし、これがいちばん難しい。

人間、年を取り、経験が増えるにつれ、「新鮮さ」に遭遇するチャンスは反比例して減っていく。

個人の領域に「新鮮さ」に反応できる部分は残っていても、それを自身の手で掘り当てることはいよいよ難しくなる。』

 

私が長年取り組んでいる、プリマヴェーラの謎解きは、この言葉が、そっくりそのまま当てはまる世界だと思います。

しかも、「星の王子さま」はじめとして、色々なところで指摘される、「大切なことは目に見えない」を地で行くような話です。

 

500年以上前に描かれた、誰もが知るルネサンスの名画。

そこには9人のギリシア神話の神々が描かれており、描いたのは、物語を忠実に表現するタイプの画家でした。

その絵の謎が、西洋の碩学たちが100年以上かかっても解き明かせない。

なぜなら、彼らは絵を描かない人たちだからです。

 

数学の証明と違って、絵画の謎解きは、興味ある人なら誰もが理解できる、「それまで経験したことのない、質の高い、新たなたのしみ」に他なりません。

万城目さんでなくとも、どなたか私の挑戦に興味のある方がおられましたら、声をかけていただけませんでしょうか?

〈春と誕生(分析編)〉蒼白のゼピュロス

 

〈春〉が描かれてから540年余り。現在は「結婚を祝う絵」と考えている人が多いようです。

でも、それって間違いです。私の考えがオカシイと思う方は、どうぞ反論なさってください。

〈春〉の画面右端にはゼピュロス(西風)が描かれています。最近の解説で、彼の色(蒼白)を説明しているものにお目にかかる事はまずありませんが、私はいつもこんな風に言っています。『結婚式に黒いネクタイを締めて行くようなものだ』

絵を見るだけの人にとっては、さほど気にならないのかもしれませんが、注文主にとっては由々しき問題です。

ボッティチェリに「結婚を祝う絵」を依頼して(ルネサンス当時、注文を受けずに絵を描くことなどありません)、こんな絵が届いたとしたら、誰だって、西風の描き直しを命じるか、「縁起でもない」と言って突き返すに違いありません。そんなこと、子供にだって分かりそうなものです。



                       春と誕生_蒼白のゼピュロス

〈春〉を初めて見る人であれば、そしてそれが子供のように先入観のない純粋な心の持ち主なら、誰もがいだく疑問がある。この名画の中にあって最も不自然な点、それは蒼白のゼピュロスだろう。

ギリシア神話では4人のアネモイ(風神)がよく知られている。ボレアス(北風)、ノトス(南風)、エウロス(東風)、そしてゼピュロス(西風)である。なかでもゼピュロスは最も温和で、春の訪れを告げる神とされている。

〈春〉という画題の絵に、春の訪れを告げる風神が描かれているのは何ら不思議ではない。しかし、登場人物中、1人だけを蒼白に彩色した意図はどこにあるのか。もちろん、ギリシア神話の西風が伝統的にブルーで描かれる、というのなら話は別だが、この表現が異例であることを画家は当然承知していたはずである。〈ヴィーナスの誕生〉のゼピュロスがそのことを証明している。

一方、ボッティチェリは〈コンヴェルティーテ祭壇画(上の図版)〉において、磔にされたキリストを〈春〉の西風を彷彿させる色で描いている。なぜ彼がキリストにこの色を用いたのか、説明するだけ野暮というものだろう。

絵を見る側は、9人中1人だけが別の色で描かれていても、なぜだろう程度にしか考えないが、描く側はまったく意識が違っている。

音楽を例に取ると。そのフレーズにふさわしい和音は何か、作曲家は徹底的に考え抜くに違いない。楽譜には一音たりとも無駄な音はないと言われる所以である。聞く側は自分の直感を信じてさえいればよい。解説などに頼らずとも、音楽家は自らの意図が最も伝わりやすいコードを選択しているはずである。

絵画の場合も、理屈はこれとまったく同じで、画家は自らの意図を伝えるために色や形を選んでいる。ボッティチェリが西風に用いたこの色は、もちろん「死」を暗示するためである。その率直なインスピレーションを無視して解説しようとするから、〈春〉は難解な絵になってしまうのだ。

余談だが、〈春〉を初めて目にした友人の医師が、絵を見た途端ゼピュロスを指さし、「この人死んでるでしょ、人間は死んだら本当にこんな色になるよ。」と教えてくれたこともある。

〈春〉の研究者たちが、これまで蒼白のゼピュロスを徹底的に無視してきたと言うつもりはない。別荘購入説の時代には、「氷のような北風を表す」と考えた人や、先ほどのポリツィアーノの詩をもとに「好色な西風の軽佻な性向を表す」と解釈した人もいたようである。しかし、結婚説が主流となった現在、この色にあえてチャレンジしようとする解説者はそう多くはいまい。

彼らはこう反論するかもしれない。「そんなはずはない。死が描かれているのなら、〈春〉という画題をつける訳がない」と。しかし、その思い込みこそが見る者の目を曇らせ、長い間この絵が解明できなかった理由に他ならない。

ゼピュロスに「死」というキーワードを重ね合わせた時、ギリシア神話から導き出される回答はヒュアキントスの事件だろう。美少年ヒュアキントスに恋をしていた西風は、彼とアポロンとの仲に嫉妬し、事故を装って(2人が円盤投げをしていたとき、アポロンの投げた円盤が突風に煽られてヒュアキントスの頭を直撃)殺害する。少年の死を嘆いたアポロンが、流された彼の血からヒヤシンスの花(今日のヒヤシンスではなく、アイリスの一種だと言われている)を咲かせた話は、ご存知の方も多いだろう。

ただし、この話が〈春〉のテキストとは考えられない。理由は美少年とアポロンの不在である(円盤も見当たらない)。

ギリシア神話に答がないのなら、ボッティチェリが西風にこの色を使った理由は何か。

私はこの絵が、(神話ではなく)実際の誰かの死と密接に結びついていない限り、もっとはっきり言えば、この絵の制作動機が画家あるいは委嘱者に近い誰かの「死」でない限り、これを説明することはできないと考えている。

〈春と誕生(分析編)〉春のキャスト

                    〈春〉に描かれた神々の名(右から順に)

ギリシア神話

ローマ神話

他の一般的な呼称

ゼピュロス

 

西風

      ???

 

フロラ

花の女神

アプロディテ

ウェヌス

ヴィーナス

エロス

クピドまたはアモル

キューピッド

カリテス

(アグライア、エウプロシュネ、タレイア)

グラティア

三美神/グレイス

(輝き、喜び、花盛り)

ヘルメス

メルクリウス

マーキュリー


前回の記事にこう書きました。
ボッティチェリは〈春〉を読み解くために、この絵に5つの手がかりを残している。そのうちの1つは言葉で、残りの4つは、9人の登場人物中4人を特徴づけることで表現されている。[分析編より]

前回は言葉(タイトル)について分析した訳ですが、これ以降は登場人物の分析になります。
そこで、いきなりギリシア神話の神々の名前が出てきてもややこしいので、まずは〈春〉のキャストを紹介しておくことにしましょう。


                       春と誕生_春のキャスト

〈春〉に描かれた人物は全部で9人。うち8人まではギリシア神話の神々だが、その中になぜか1人だけローマ神話の女神が交ざっている。

それはともかく、さっそく〈春〉のキャストを紹介していくことにしよう。

画面向かって右側から、頬をふくらませて息を吹き、左隣の女性に寄り掛かるようにしている、翼のある蒼白の男性はゼピュロス(西風)。1人とばして、花柄の衣裳を着て薔薇を撒き、足下に一際多くの花が咲き乱れている女性は、一人だけローマ神話から呼ばれたフロラ(花の女神)。画面中央、少し奥まった位置で右手をかざし、女王然として佇んでいるのはアプロディテ(ヴィーナス)。その頭上、目隠しされ炎の矢をつがえているのは彼女の息子のエロス(キューピッド)。アプロディテの左隣、3人1組で舞っているのは女神の侍女カリスたち(三美神/グレイス、複数形はカリテス)。一番左側で、宝杖(ケリュケイオン)を手にして雲を指し示しているのはヘルメス(マーキュリー)である。

ただし、カリテスの3人(アグライア、エウプロシュネ、タレイア)のうち、どれが誰なのかを特定することは難しい。なお、無用な混乱を避けるため、これ以降神々の名は原則としてギリシア神話名で記述することにする。

右から2人目の女性だけが誰なのか分からない。彼女だけが神々の持つ特徴を備えていない。ボッティチェリが描く神話の神々は、衣裳やアトリビュート(持ち物)によって常に明確に特徴づけられている。それが誰なのか見分けがつかないような神を画家が描くとは思えない。

それもそのはず、彼女は人間の娘である(後に神に昇格する)。しかも、それが誰なのかが分かればテキストが判明する物語のヒロイン、この絵を読み解くキーパーソンである。

美術書や画集を見ると、右から2人目の女性は、ローマ神話のフロラ(花の女神)あるいはギリシア神話のクロリス(ニンフ:大地の精)と考えられているようだ。ここで簡単に従来の説に触れておくことにしよう。

フロラ説は、ボッティチェリと同時代の詩人、アンジェロ・ポリツィアーノAngelo Poliziano 1454-1494)の長編詩「ラ・ジョストラ(馬上槍試合)」をテキストと考える説である。

その中に「ヴィーナスの王国」という詩があって、そこにはヘルメスを除く〈春〉のキャストがすべて登場する。ただし、右から3人目の女性はプリマヴェーラ(春の女神)と考えられているようだ。

〈春〉が「ヴィーナスの王国」の影響を受けていることに異存はない。ただし、この詩(下記参照)を絵の原典とすることには賛同できない。理由はヘルメスの不在であり、そのことを納得がいくように説明してくれる解説も今のところ見当たらない。また、プリマヴェーラという女神の存在は画題を説明するのには好都合かもしれないが、彼女のみを根拠にタイトルが決まったとする主張は、逆に説得力に乏しい。

ついでなので、ジョストラ(馬上槍試合)にも少し触れておくことにする。

ボッティチェリが〈春〉を描いた当時、フィレンツェは実質的にメディチ家の統治下にあった。当主は直系のロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de’Medici 1449-1492)で、彼はまたメディチ家の他のロレンツォたちと区別する意味で、ロレンツォ・イル・マニフィコ(偉大なロレンツォ)とも呼ばれていた。

1475年。ロレンツォ・デ・メディチは、ヴェネツィアとミラノとの同盟を祝って、フィレンツェ・サンタ・クローチェ広場においてジョストラ(馬上槍試合)を催した。彼はこの機会を利用して4歳下の実弟、ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de’Medici 1453-1478)の名声を高めようと考えていた。その期待に応えてジュリアーノはこの大会で優勝する。そして優勝者に冠を授ける美の女王として選出されていたのが、薄命の美女シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ(Simonetta Cattaneo Vespucci 1453頃-1476)だった。フィレンツェの人々は、若いヒーローとヒロインの誕生に大いに沸き返ったことだろう。その鮮烈な印象ゆえ、2人のロマンスは永く語り継がれることになる。ポリツィアーノは長編詩「ラ・ジョストラ」を2人に捧げ、ボッティチェリは試合当日のジュリアーノの標旗を描いている。

これを遡ること6年。1469年にはロレンツォ・デ・メディチの20歳の誕生日を記念してのジョストラが同じ場所で開催されている。この時、主役の旗印を描いたのはアンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio 1435-1488)。レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452-1519)の師匠で、ボッティチェリにも多大な影響を与えた大工房の親方である。また、1469年という年は、ロレンツォが父ピエロの死去にともないメディチ家家督を継いだ年でもあった。ジョストラの説明はここまで。

一方、クロリス説は古代ローマの詩人、オウィディウス(Publius Ovidius Naso B.C.43-17)の「行事暦(祭暦)」に典拠を求めている。

ギリシア神話のニンフ(大地の精)クロリスが、ある時ゼピュロスに見初められ、さらわれていった。彼は自分の愛が真実であることを示すために彼女を正妻とし、花を咲かせるすべての支配権を与えた。その後、彼女はローマ神話の花の女神フロラと同一視されるようになる。

「行事暦」の当該箇所はオウィディウス本人によるフロラへのインタビュー形式で語られている。彼女が話し始めると口からは薔薇の息があふれ、「私は今でこそフロラと呼ばれているが、ギリシアではクロリスというのが本当の名前だった」といった具合。〈春〉の右側がこのシーン(ゼピュロスにさらわれ、口から薔薇)を表していると考えられているのだろう。ただし、「行事暦」にエロスは登場しないし、アプロディテやヘルメスが出てくるのも別の場面である。

なお、クロリス説では3人目の女性に関して2つの異説がある。一方は、彼女をフロラとしクロリスからの変容が描かれているとする説。他方は、彼女をクロリス=フロラの庭園にやってきたホラ(季節の女神)とする説だ。ホラ(複数形はホライ)はカリテス同様数人一組の女神たちで、3人説(秩序、正義、平和)、4人説(春、夏、秋、冬)など様々なバージョンがある。〈ヴィーナスの誕生〉で裸身の女神にガウンを掛けようとしている女性もホラと言われており(右から3人目と衣裳が似ているという指摘もある)、フロラ説のプリマヴェーラ(春の女神)もホラ(4人説)の一人である。

ちょっとややこしいが、クロリス~ホラ(いずれもギリシア名)説と、フロラ(ローマ名)~プリマヴェーラ(イタリア名)説は、典拠は違うが描かれている人物は同じである。さらに、ポリツィアーノの「ヴィーナスの王国」が、オウィディウスの「行事暦」の影響を受けて詠まれたことも見過ごすことはできない。

右から2人目の女性に関する代表的な説を簡単に紹介してきたが、これ以上深入りするのはやめておこう。詳しくは美術書等を参考になさることをお勧めする。

 

アンジェロ・ポリツィアーノ「ヴィーナスの王国」

アモルは首尾よく仕返しをするや、

喜びいさんで闇の空をひとっ飛び、

小さき兄弟たちの待つ

母の領国にはや来たれり。

そこでは三美神が楽しげに集い、

美神は髪を花冠で飾る。

好色な西風の神花の女神のあとを追い、

緑なす草は花咲きみだれる。(1-68)

……陽気な春の女神も欠けていない。

彼女は金髪と縮れ毛をそよ風になびかせ、

無数の花々で小さき花冠を結ぶ。(1-72)

アモルたちの母、美しきヴィーナス

その一団と子どもたちに囲まれている。

西風の神は草原を露でぬらし、

数限りない甘美な香りをまき散らす。

いたるところに飛びかい、田野を

薔薇、百合、菫などの花々でおおう。

白、空色、淡黄、紅色、

草原は花々の美しさで驚くばかり。(1-77)

森田義之訳:NHK日曜美術館 名画への旅6 春の祭典(初期ルネサンスⅡ) 講談社より

〈春と誕生(分析編)〉春の画題

〈春と誕生〉の中身を小出しすることにします。
原稿は完成しているので、本来なら出版が叶えば良いのですが、今のところ、どの版元も首を縦に振りません。
そうなると、私にできる発信手段は、今のところこのブログ位しかありません。


ボッティチェリは〈春〉を読み解くために、この絵に5つの手がかりを残している。そのうちの1つは言葉で、残りの4つは、9人の登場人物中4人を特徴づけることで表現されている。[分析編より]
〈春〉という絵の最もミステリアスな点はその画題にある。この意味深長なタイトルこそが、画家の意図とは裏腹に解説者たちを別の方向へと導き、制作後540年を経た今日まで私たちの目を真実から遠ざけてきた原因に他ならない。[総合編より]



                        春と誕生_春の画題

この絵のタイトルは本当に〈春:la Primavera〉なのだろうか。

私たちは未だにこの素朴な疑問にすら明快な解答を与えていない。なかにはこの絵のことをポリツィアーノの詩にちなんで「ヴィーナスの王国」と呼ぶ人もいる。辻邦生も「春の戴冠」の中で、この絵を「ヴィーナスの統治」と呼んでいる。

タイトルの意味、すなわち画家の真意は総合編で明らかにするが、ここでは題名の由来について考察しておくことにする。

この絵に制作当初から〈春〉という画題が付与されていたかどうか、今のところ確証はない。定説では、ジョルジョ・ヴァザーリが「美術家列伝」に以下のように記したことが題名の由来とされている。

「Per la citta in diverse case fece tondi di sua mano, & femmine ignude assai, delle quali oggi ancora a Castello, luogo del Duca COSIMO di Fiorenza sono due quadri figurati, l'uno Venere, che nasce, & quelle aure & venti, che la fanno venire in terra con gli amori: & cosi un'altra Venere, che le grazie la fioriscono dinotando la primavera; le quali da lui con grazia si veggono espresse. ―――その街の様々な邸のために自らの手で円形画を作り多くの裸婦を描いたが、フィレンツェにあるコジモ公のカステッロ荘に、今日でも2枚の絵が残っている。1枚は誕生するヴィーナスで、そよ風と風がアモルたちとともに彼女を陸地へと運んでいる。もう1枚のヴィーナスは、三美神によって花で飾られており、春を表している。いずれもとても優美に描かれている。」(筆者訳)

ヴァザーリの記述は正確さを欠く面もあり、すべてを真に受ける訳にはいかないが、少なくとも〈春〉という題名を彼が案出したとする考えには賛同できない。もしも、絵が他の呼称で呼ばれていたり、あるいは無題だったとして、〈春〉という言葉を彼自身が思いついたのだとすれば、到底このようなあっさりした表現にはならなかったろう。

ヴァザーリメディチ家(コジモ公)の招きを受けてカステッロ荘を訪れた時、ホストは客に2枚の絵をなんと言って紹介したのだろう。詳しいことはもちろん分からないが、常識的には作者と画題(なければ主題)を告げたと考えるのが普通だ。この時ヴァザーリは〈誕生〉という言葉には何の違和感も覚えなかったに違いない。しかし、もう一方の〈春〉はどうだったのだろう。この絵を初めて目にする人が〈春〉というタイトルを告げられた時、何の疑問もなくすんなりと受け入れられるだろうか。

客が主人に画題の由来を尋ねたかどうかも分からない。それに対する説明があったか否かも不明だが、ゲストを得心させるような、さらに踏み込んで感銘を与えるような解説があったとしたら、きっとヴァザーリはそのことを「列伝」に記したはずだ。

一般にはあまり知られていないが、この絵の元々のタイトルは〈春の寓意:allegoria della Primavera〉である。現在ウフィツィ美術館は、略称である〈春:la Primavera〉を使っているが、以前私がこの目で実際に見た銘板には、確かにallegoriaと刻印されていた。ウフィツィがその名称を認知したのは、絵が最初に美術館に入った時(1815年)だと考えられるが、所有者(メディチ家)の申告に基づいて登録したことは想像に難くない。一方のヴァザーリだが、彼が「列伝」に書き残したのはdinotando la primavera(春を表している)という言葉のみである。

もうお分かりかもしれないが、つまり、ヴァザーリが名付け親なのだとしたらallegoriaはどこからまぎれ込んだのか、ということなのだ。絵がウフィツィ美術館に入った当時、この絵に画題がなく彼の言葉が唯一の根拠だったとすれば、美術館は〈春:la Primavera〉と記載したはずである。

絵描きは、当然のことながら絵の「意味」を知っている訳で、たとえ見る者にはピンとこなくともそれにふさわしい画題を与えようとする。そこには、わが子を命名するのにも似た強いこだわりがあるからだ。些か乱暴だが、逆の言い方をすれば、題名にこだわるのは作者のみで、見る側は別に何だって構わないのだ。

絵のテーマが「聖母子」や「受胎告知」のように歴然としている場合なら、画題がなくとも後世の人々がそう呼ぶことは考えられるが、古代以降初めて、異教(ギリシア神話)の神々をほぼ等身大で描いたこの作品に、その内容を理解していない他人が、〈春〉という銘を付けることなどあり得ない。

「春を表している」という曖昧な表現は、絵から受ける印象とタイトルとのギャップから生じた言葉だと私は想像する。「メディチ家の人たちはこの絵を〈春〉と呼んでいる、私にはその理由はよく分からないが」といったニュアンスだろう。

そして、ヴァザーリがカステッロ荘を訪れた時、この絵が〈春〉と呼ばれていたとすれば。その後、メディチ家ウフィツィ美術館にallegoria della Primaveraと申告したのならば。題名は当初から一貫して〈春の寓意:allegoria della Primavera〉だったのであり、メディチ家の人々はこれを省略して〈春:la Primavera〉と呼んでいたと考えるのが自然である。

〈春の寓意〉という画題は、必ずやボッティチェリ自身が与えている。そこには、彼の深い思いが込められているのだ。

なぜこの絵のタイトルは〈春の寓意〉でなければならないのか。この問いに対して、誰もが納得のいく解答を与えないかぎり、私にはその解説が画家の真意を語っているとは思えない。