謙抑的は砂漠の蜃気楼

事故調試案には問題点がテンコモリなんですが、最大の焦点は刑事手続き(警察捜査)より事故調が優先するかどうかです。派生問題として刑事免責の話にもつながりますが、その前段階として事故調の調査結果を受けて警察が動いてくれるかの確証が果たしてあるかどうかに強い関心が寄せられています。事故調が出来ても第二、第三と福島事件を量産されれば事故調を作る意味がなくなってしまうからです。事故調に対して医師が絶対譲れない一線は事故調が第二の福島事件を抑止できるかどうかにあります。この要求が満たされないのなら更に検討を重ねなければならない制度になります。

この事故調試案の警察捜査に対する姿勢は極めて曖昧です。三次試案でもわざわざ本文とは分けて別紙とし、

刑事手続の対象は、故意や重大な過失のある事例その他悪質な事例に事実上限定されるなど、謙抑的な対応が行われることとなる。

かの有名な「謙抑的」という見慣れない言葉で表現されています。これも考えてみればおかしな表現で、警察捜査は基本的に謙抑的であり無闇に積極的なわけではありません。医療で刑事手続きの矢面に立たされる業務上過失致死にしても業務上過失致傷にしても、医療に限らず過失犯は謙抑的に運用されるのが法の精神です。わざわざ三次試案に「謙抑的」なる表現を使うところに違和感を感じるところです。

そんな三次試案の「謙抑的」の担保とされるのものですが、4/3付山陽新聞から一部引用します。ちなみに各新聞社は同工異曲の報道をされております。

 医師らの刑事訴追が無制限に広がることに反対する医療現場の意向に配慮したもので、同省は「捜査の制限になるが、警察庁法務省とも合意した」としている。

とりあえず具体的な内容は不明ですが何かを合意したとなっています。

この「合意」ですが二次試案の頃からしばしば使われていたと記憶しています。とくに次の記事は重要で、原文はIDとパスワードが無いと読め無いのですが、4/3付日経メディカルには、

 ただし、厚労省によると、法務局や検察庁などからは、この案の公表について了解する旨の覚え書きを得ているといい、同省としては「刑事訴追については『謙抑的』な対応をすることで了解を得ているものと考えている」という。そして、捜査機関や裁判所などが適切な判断を下すためにも、医療専門家などで構成する調査委員会が、事故を適切に評価するという点において、透明性・中立性を確保することが求められるとしている。

厚労省は合意と言う口約束だけでなく

    覚え書きを得ている
つまり三次試案の「謙抑的」の担保は、
  1. 口頭の合意
  2. 覚え書き
この2本立てで保証されているから「安心せよ」とのアピールが行なわれています。この言葉に転んだのが日医であり、内科学会であり、外科学会ですし、他もあるかもしれません。そこまでの保証があるならこの辺で妥協しようと動いています。とくに日医は積極的な賛成運動を執行部が音頭を取って繰り広げています。

ところで少し考えれば分かる事なんですが、「合意」も「覚え書」も誰も具体的な内容を知りません。結論としては警察が「それで謙抑的に動いてくれるらしい」だけです。具体的にどういう取り決めであり、覚え書なり合意がどう運用の担保になっているかは一切不明です。つまり誰も具体的な内容を知らない「合意」とか「覚え書」を鵜呑みに信用している事になります。また三次試案のどこを読んでも、「合意」や「覚え書」を基に法整備を行なおうとの話もありません。ひたすら謎の約束で「謙抑的」の担保を取ったから信じなさいの一点張りです。

その謎の覚え書について、4/22の衆院決算行政監視委員会第四分科会で橋本岳氏が質問してくれています。僻地の産科医様が奮闘して文字起こししてくれています。

覚え書質疑の前に順番が前後するのですが、「合意」なり「覚え書」でどれほど警察が謙抑的なるかです。4/4の参議院厚生労働委員会で岡本光功氏も近い内容で質問していますが、橋本氏も行なっています。答えたのは参議院厚生労働委員会の時と同じ米田刑事局長です。

○米田警察局

     あの〜業務上過失という、その〜罰則がございまして、そしてもちろん遺族の方々には訴える権利がございます。私どもとしてはそれは捜査する責務があるわけでございまして、そういう中で先日の岡本議員のご質問は、行列ができてしまう事態の中で警察・検察にもってこられたらどうするんだというご主旨でございまして、それはまぁ捜査せざるを得ない。ということを申し上げたわけでございます。

     ただいま私どもはそういう事態を望んでいるわけではございませんで、遺族の方々がこの委員会の調査によって十分納得がいくということを期待しておりますけれども、そうかといって、患者さんや遺族の方々が刑事処分をしてくれと訴えることそのものを封ずるということはできかねると考えております。

     ただ警察の方にいろいろ相談があった場合、委員会にいかれましたか?と、いってみたらいかがですか?と、もちろん告発されるというのであればそれは受けますけれど、その前にまず委員会の方にご相談されたらいかがですかと、そのようになるべく委員会が利用されるような協力はしてまいりたいと考えております。

     繰返しますが、刑事処分を求めるというような患者や遺族の方々の権利を封ずるということはあってはならないと考えております。

参議院厚生労働委員会の時も歯切れの良い回答をされていましたが今回も同様で、事故調に配慮のリップサービスは行なっていますが、

    繰返しますが、刑事処分を求めるというような患者や遺族の方々の権利を封ずるということはあってはならないと考えております。
法に従って警察は粛々と行動すると明言されています。これは人によって受け取り方が若干変わるかもしれませんが、警察は過失犯に対し「これまで同様に『謙抑的』に行動する」と宣言していると解釈できます。事故調の存在は謙抑的の程度を考える時に「それなり」に考慮する時もあるとして良いかと思います。これは参議院厚生労働委員会に続く二度目の答弁ですから、警察の姿勢として不動のものと考えて良いかと思います。「繰り返しますが」の念押し付ですから間違いないでしょう。

さらに今回の質疑では「合意」と「覚え書」のうち「覚え書」の存在に重大な疑問を呈する答弁が行なわれています。

○橋本議員

     なるほど、いまそれぞれに必要な協力を行っていただけると御答弁があったわけですけれども、いろんな議論があるといわれた中に、そもそもこの第三次試案の紙というのは厚生労働省という名前で出されています。

     それによって担当の法務省警察庁とすり合わせをしているのか、厚労省が例えこういう案をたとえ作ったとしても、ま、今協力をするというお話はあったわけですけれど、具体的現実の場、個々のケースにおいては、もしかしたら警察もしくは司法の方はそれを踏み倒すというか、無視するのではないかといった懸念まで言われている現実がございます。

     というわけで、あらためてどの程度まできちんと厚労省さんと両省それぞれすり合わせをされているのか、お伺いをさせていただきたい。
     同時にそのすり合わせの中で、もし合意するような文書なりなんなりがあるのかないのかまず教えてください。
○大野検事局長
     厚労省が公表した第三次試案の作成に当たりましては、本省も協議を受けております。具体的に申し上げますと、第三次試案作成の前提といたしまして厚労省が主催した「診療行為に関わる死因究明等のあり方に関する検討会」に担当の課長がオブザーバーとして参加しておりまして、必要なご説明などを行うなど協力いたしております。また第三次試案の内容につきましても、厚労省法務省の担当者間で協議を行っております。

     ただいま文書というようなご指摘がありましたけれど、そのような文書を交わしたという事実はございません。
○米田刑事局長
     警察庁の場合もまったく同じでございまして、「診療行為に関わる死因究明等のあり方に関する検討会」に担当課長がオブザーバーとして参加するなど、協議を進めてまいりました。

     特段、警察庁厚労省との間で交わした文書はございません。

アレレレ、そんな覚え書は無いと大野検事局長も米田刑事局長も明言しています。橋本議員は重ねて質問しております。

○橋本議員

     協議はされていたということで、それはいいことだと思いますが、文書という話について、ここに日経メディカルオンラインというウェブ上のサイトがございます。まぁいろんな医療関係などのニュースが出ているのですが、そちらの方の4月3日の記事にですね、事故調第三次試案のここが変わったということについてプレスの記事になっているわけですけれども、その記事の中で、これインターネットで会員登録すれば誰でも見られますが、「厚労省によると、法務局や検察庁などからは、この案の公表について了解する旨の覚え書きを得ている」という一文が出ております。

     そうしますと、今の一文と比べてすこし食い違いがあるのではないかと思いますが、あらためてご確認をさせてください。
○大野検事局長
    さきほど申し上げましたように、覚書のようなものを取り交わした事実はございません。
○米田警察局
    警察庁もまったく同じでございまして、そういった文書を取り交わしたことはまったくございません。

誠にきっぱりと

    取り交わした事実はございません
大野検事局長も米田刑事局長も誤解の生じる余地の無い明確さで覚え書の存在の否定を行なっています。二度にわたる念押し質疑で否定していますから、厚労省の主張する「覚え書」は検事局にも警察にも存在しない事は明らかです。もっともあったとしても実質は米田警察局長の答弁程度の効力しかありません。


官僚答弁なので分かり難いところが残るのですが、厚労省も、検事局も、警察も事実関係については全くの嘘はついていないと見なければなりません。何を言いたいかといえば厚労省が主張する、

  • 協議の上での合意
  • 覚え書
この2つはあると考えます。事実として三次試案発表前に厚労省法務省、警察は協議を行い、何がしらかについて合意し、覚え書を取り交わしていると考えられます。またその内容は「謙抑的」について法務省も警察も合意したと解釈が可能なものであったのは間違いないと考えます。それでは検察局や警察が嘘をついている事になりますが、検察局も警察も嘘をつく必要はありません。やはり検察局や警察が答弁したように覚え書は存在しないと考えます。

何か禅問答のようになりましたが、法務省、警察、厚労省が協議の上、合意し覚え書を取り交わした会議の受け取り方、解釈の仕方、取り扱い方が異なるためだと考えます。どういう事かといえば、三次試案を発表するにあたり、その内容に警察の捜査権を制限するような文言が含まれています。これを法務省や警察との下相談無しに発表し、否定されたら厚労省は赤恥をかくことになります。そのために三次試案の表現で法務省、警察が異存が無いかを確認したのが協議だと考えます。

厚労省サイドは「謙抑的」の言葉で捜査権の制限のニュアンスを出す事についての了解を求め、法務省や警察はそれを了承、それについての覚え書が取り交わされたのだと考えます。ところが法務省も警察も「謙抑的」については従来から「謙抑的」であり、この合意及び覚え書により自らの権限が制限されるとは考えていないと解釈していると考えます。当然といえば当然で、官庁同士の口頭の合意や覚え書一つで捜査権がドンドン制限されては問題です。法務省も警察もあくまでも従来の「謙抑的」の枠内で配慮するとしか約束した意識は無いという事です。

覚え書についても「三次試案の表現を容認する」つまり発表後に試案の内容について直接異議を唱えない程度のもので、間違っても捜査制限に関る代物ではないという認識だと受け取れます。それ故に国会質疑での覚書の返答は「そんなものは無い」になったと考えられます。橋本議員の質問の趣旨に正しく返答している事になります。

では「合意」や「覚え書」が独り歩きしたのは厚労官僚の誤解かといえば好意的過ぎるでしょう。彼らも官僚であり、官庁間の協議や覚え書についての取扱いは熟知しているはずです。厚労官僚は誤解したのではなく、故意に曲解して合意や覚え書を事故調成立のために利用したと考える方が妥当です。

事故調の必要性は医師だけではなく政治的に高まっています。参議院選挙大敗の理由はもちろん年金問題ですが、表には余り出ていませんが医療問題もボディーブローのように影響しています。総選挙は任期満了まで石にかじりついても政府与党は行いたくないのですが、政治は水物、現在の情勢ではいつ解散総選挙が行なわれても不思議ない状態です。選挙になれば医療問題は切実な争点として出てくるのは確実であり、政府与党の医療問題への目に見える実績として事故調を選挙対策に作る必要に迫られています。

政府与党が事故調成立のために意を含んで送り込んだ人物は大村秀章氏。大村議員はスタート地点とゴール地点さえ教えれば、ブルドーザーのように突き進む猪突猛進型の政治家であることは有名です。そんな大村氏が主導しているわけですから、関係各方面への圧力はさぞ物凄いと推察されます。事故調推進にあたり大村議員の残した言葉が日経メディカルにあります。

私どもの案がもしご不満で、「こんな制度は要らない」というのなら、別に構いません。案を流して白紙にしてもいいと思うんですよ。その代わり、21条はもっと強力にいくと思いますよ。

これは自民党案が提示された後だったように思いますが、とにかく「早期成立ありき」で驀進している事が分かります。当然ですが厚労省にも相当な圧力が常にあるのは誰にも分かります。日医にだって圧力はヒシヒシとかけられていると考えるのが妥当です。そこで異論の根強い医師に対し、厚労官僚が「合意」と「覚え書」を最大限に利用して説得材料にしたと考えて良いと思います。

しょせん限られた関係者しか知らない口頭の合意内容と覚え書ですから、法務省と警察から取った「謙抑的」表現の合意を、説得に都合の良いように色合いを変えて伝えたと考えるのが真相と考えられます。これは官僚的には良くある手法で「玉虫色解釈」という技法です。この玉虫色作戦で、これも圧力を受けている日医や一部学会が無邪気に喜んで同意しているのが現在の状態と思われます。

「玉虫色解釈」は良く使われますが、今回の事例は「玉虫色」でさえ実はありません。玉虫色にするためには覚え書が存在し、そこにある文面を我田引水的に解釈して伝え、同意の関係者がそういう解釈をお互いに黙認する必要があります。今回はその玉虫色のタネである覚え書自体の存在を否定されたのです。法務省も警察も覚え書を玉虫色のネタにしている認識は全く無いと明言、断言しています。

覚え書がその程度の存在なら「合意」もさらに存在感が薄くなります。もはやこれは「砂上の楼閣」と言うより「砂漠の蜃気楼」です。砂漠の荒野に苦しむ医師が蜃気楼を見てぬか喜びをしているようなものです。事故調に対する医師の絶対譲れない一線である、第二の福島事件抑止に事故調が役に立たない事が判明したのですから、三次試案での強行拙速は悔いを千載に残すと考えます。