赤レンガ道庁館内の探索は続きます。 これはかつて択捉島に建てられていた標柱らしい。 21世紀の今でこそ、世界のあらゆる場所は「国境」で境され、国境の中ではそれぞれの国が独立を保障されていますが(そう願う)、開国直後の18世紀は異なりました。 欧米列強による植民地獲得競争が続いており、北海道や千島が日本領である、ということも、決して国際的な認識とはなっていなかった時代。 そして帝政ロシアが南下政策を行っている。 新政府にとって、北方の国境確定と内地化は急務でした。 なんかの紙切れに文字が書いてありますね。 これは日露通好条約の条文でした。 1854年に日米和親条約を締結したのに続き、イギリスとも…