「お好み焼き」の方言。
関西弁というよりも、播州弁でこのように呼ばれる。
実際には、大阪風や広島風などの一般的なお好み焼きとは少し違う。
もともと、明治時代後半から大正時代はじめのころの明石などの播磨地方の一般家庭で作られていた小麦粉料理で子供のおやつだった肉天から。当時のつくり方は各家庭により異なるが大まかなところは、
牛肉の筋肉と蒟蒻、じゃが芋をブロック状にしたものを砂糖と醤油で煮詰め、水で溶いたメリケン粉を鉄板の上に流したところに煮詰めた具材をのせ、削り節や青ねぎを撒いたあとその上にまた水溶きメリケン粉を流し両面を焼いて食べたもの。肉天の字は当時の新聞や写真などにはでてくるが由来はさまざまで関西地方でいう天ぷら(魚の練り物)と同じく油を使った料理の天ぷらの天を使ったとされる。