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アーノルト・ファンク

(映画)
あーのるとふぁんく

Dr.Arnold Fanck(1889年-1974年)。映画監督・スキーヤー・登山家。

 山岳映画の代表的な監督。
 1889年年ドイツ・フランケンタール生まれ。結核など数々の病身で、トーマス・マンの「魔の山」のモンタージュモデルの様にダボースで過ごした時期に、酷寒の山や湖のスケートなどアルプスの自然と出会う。父親の死去に伴ってブライスガウのフライブルクに転居した時期、近辺の中低山やアルプスでの登攀や写真撮影を経験。その後ベルリン、ミュンヘン大で哲学を聴講後、チューリッヒで化学後に地質学を専攻。この間、モンテローザ登頂の際に映画と出会う。
 第一次大戦時に志願して兵役、諜報活動部門でカメラ・撮影技術を習得。1920年スキーヤーで物理学者のタウエルン博士と「山とスポーツ映画会社」を創立した。
 ナチ時代、優れた映画監督であったファンクもゲッペルスからオファーを受けたが、入党していなかった為に経済的にも困窮し、厳しい時期があった。
 ファンクの代わりにナチの活動を記録したのがレニ・リーフェンシュタールであり、ファンクによって才能を見出された人間の一人でもある。

日本でも「侍の娘」(「新しき土」という邦題)が伊丹万作との共作で1936年に撮影された。

代表作として「死の銀嶺」「モンブランの嵐」「白銀の乱舞」など。


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