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アドリアン・ムトゥ

(スポーツ)
あどりあんむとぅ

Adrian Mutu
ルーマニアのサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
1979年1月8日生まれ。身長180cm、体重74kg。

所属クラブ

1996-1999
FCアルジェシュ・ピテシュティ
1999-2000
FCディナモ・ブカレスト
2000
インテルナツィオナーレ・ミラノ
2000-2002
エラス・ヴェローナFC
2002-2003
ACパルマ
2003-2005.1
チェルシーFC
2005.1-2006
ユヴェントスFC
2006-2011
ACFフィオレンティーナ
2011-2012
ACチェゼーナ
2012-
ACアジャクシオ

経歴・プレースタイルなど

エゴイスティックな面はあるが、パワフルなドリブル突破やシュートが持ち味で、テクニックも兼備しているストライカー。麻薬使用やドーピングなど常にトラブルが付いてまわるトラブルメーカーでもある。
2002-2003シーズンはパルマに在籍し、中田英寿とチームメイトで、その自己中心的なプレイスタイルで度々、中田は自身のHPで不満を爆発させていた。しかし、中田、アドリアーノ・レイテ・リベイロと3トップを形成し、その自己中心的なプレイもパルマの5位進出に貢献し、自身もリーグ戦31試合で18得点を挙げセリエA得点ランキングで2位に入った。
オフシーズンに中田はコミュニケーション解決のために、ルーマニアのブカレストにムトゥの元を訪れて数日一緒に過ごして仲良くなり、パルマでキャプテンにも任命された矢先にチェルシーに電撃移籍が決まる。一説にはパルマ側が断るつもりで提示した超高額の移籍金にチェルシー側が同意したからと言われている。
チェルシーに移籍後は度重なるスキャンダルや交通事故を起こし、さらに麻薬(コカイン使用)検査で陽性と診断された事から長期出場停止(2005年5月まで)を受け、チェルシーを解雇されたが、2005年1月、イタリア・セリエAのユヴェントスと5年契約を結ぶ。2006年夏、カルチョ・スキャンダルが発覚し、パルマ在籍時の恩師であるチェーザレ・プランデッリが指揮するACFフィオレンティーナに移籍した。フィオレンティーナでは3季連続でリーグ戦二桁得点をマークするなど活躍した。しかし2008年6月、前述の麻薬使用で損害を与えたとしてFIFA特別委員会から約1700万ユーロの罰金をチェルシーに支払うことが命じられ、スポーツ仲裁裁判所に提訴したが、結局は退けられた。さらに2010年1月には、ドーピング検査で禁止薬物の陽性反応が出たため、9ヶ月の出場停止処分を受けた。2011年夏、ACチェゼーナに2年契約で移籍。
ルーマニア代表には2000年3月にデビューし、同年のUEFA欧州選手権の代表に選出された。ゲオルゲ・ハジの引退後はルーマニア代表のエースとして活躍、2008年のUEFA欧州選手権にも出場した。しかし、代表においても、夜遊びして監督の逆鱗に触れるトラブルを起こしている。2011年8月には、代表戦の前に夜遊びで飲酒し、代表から追放された。


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