(ultramontanism)
キリスト教の歴史上、17,18世紀フランスやドイツにおけるカトリック教会内の教会政治上の論争において、ローマ教皇の首位性を主張した立場。しばしば「教皇至上権主義」「教皇至上主義」と意訳される。転じて、教皇が政治上も絶対的権威を有するという近代の主張もこの語で表される。ウルトラモンタニズムを直訳すると「山の向こう主義」。フランスから見てローマはアルプスを隔てた向こう側であることによる。類義語に「バチカニズム(バチカン主義)」「キュリアリズム(教皇庁主義)」が挙げられる。超モンタニズム(=超モンタノス主義)では全くない事に注意。対立概念は「ガリカニスム」。こちらは直訳すると「ガリア主義=フランス主義」だが、しばしば「国家教会主義」と意訳される。
今はあの人のことなぞちっとも思いはいたしません。もう家を出て三月になりますが、わたくしはすっかり忘れてしまいました。何もかも忘れてしもうて、思い出すのもいやでござります。それに、今あの人と一緒になったところで何としましょう。わたくしはもうあの人と縁を切ってしまいました。誰もかれもすっかり縁を切ってしまいました。自分の家や道具なんぞ見とうござりませぬ、何にも見とうござりませぬ!」 「なあ、おかみさん」と長老は言いだした。「ある昔のえらい聖人《しょうにん》さまが、お前と同じように寺へ来て泣いておる母親に目をおつけなされた。それはやっぱり神様のお召しになった一人子のことを思うて泣いていたのじゃ。聖人…
リスト教発生後二三世紀の間、キリスト教は単に教会として地上に出現していました。そして、実際、教会にすぎなかったのです。ところが、ローマという異教国がキリスト教国となる望みを起した時、必然の結果として次のような事実が生じました。ほかでもない、ローマ帝国はキリスト教国となりはしたものの、単に国家の中へ教会を編入したのみで、多くの施政に顕われたその本質は、依然たる異教帝国として存在をつづけたのです。実際、本質上から言っても、ぜひこうなるべきだったのです。しかし、帝国としてのローマには、異教的文明や知識の遺物がたくさん残っていました。例えば、国家の目的とか基礎とかいうものすらがそうです。しかるにキリス…
「神聖なる長老さま、どうかおっしゃって下さいまし、わたくしがあんまり元気すぎるために、腹を立てはなさいませんか?」肘椅子の腕木に両手をかけて、返答次第でこの中から飛び出すぞというような身構えをしながら、フョードルはふいにこう叫んだ。 「お願いですじゃ、あなたも決してご心配やご遠慮のないように。」長老は諭すように言った。「どうかご自分の家におられるつもりで、遠慮なさらぬようにお願いしますじゃ、まず第一に自分で自身を恥じぬことが肝要ですぞ。これが一切のもとですからな。」 「自分の家と同じように? つまり、飾りけなしでございますか? ああ、それはもったいなさすぎます、もったいなさすぎます、がしかし、…