Gunther Anders 1902年、ブレスラウに生まれる。フッサール、ハイデガーのもとで哲学を学ぶ。ハンナ・アーレントと最初の結婚。ナチの政権獲得後にパリ、続いて合衆国に亡命。戦後、ヒロシマの原爆投下に参加した米軍パイロットとの往復書簡(『ヒロシマわが罪と罰』)で、大組織の歯車となった人間の行為を問うた。92年、ウィーンで死去。