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コルンゴルド

(音楽)
こるんごるど

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold 1897〜1957)。

作曲家。幼くしてより神童としてウィーンの楽壇に華々しくデビューする。
ベルギーの作家、ローデンバッハの代表作にして世紀末的な情緒に支配された小説「死の都」の舞台化に成功し、栄光に彩られた前半生を過ごすが、ナチスによる音楽ジャンルのユダヤ人狩りである「退廃音楽」のレッテルを貼られた後は、アメリカに亡命。ほかのドイツ語圏の亡命ユダヤ作曲家と同じようにハリウッドで映画音楽の作曲に従事し、そこでも成功を収める。しかし、それが仇となり、おりしも地殻変動をとげつつあったヨーロッパの「純音楽」サイドからはそっぽを向かれ、不遇の晩年を過ごし、カリフォルニアにて客死。


以下、早崎隆志氏による解説を詳細として転載しました。

「9歳の時のカンタータ「水の精、黄金」はマーラーに「天才だ!」とうめかせ、11歳で書いたバレー・パントマイム「雪だるま」はウィーン宮廷歌劇場でワインガルトナー指揮ウィーン・フィルによって初演されてセンセーションを巻き起こした。12歳の作ピアノ・ソナタ第1番はリヒャルト・シュトラウスを戦慄させ、13歳の時のピアノ・ソナタ第2番 Op.2はシュナーベルによりヨーロッパ中に紹介された。14歳のコルンゴルトは大指揮者ニキシュの委嘱を受けて劇的序曲 Op.4を書き上げ、13〜15歳で完成させた大作「シンフォニエッタ」Op.5は当時の巨匠たちに盛んに取り上げられた。

 16〜18歳にかけて書いた2つの一幕オペラ、「ポリクラテスの指環」Op.7と「ヴィオランタ」Op.8は1916年にブルーノ・ワルターの指揮で同時初演され、プッチーニの絶賛を浴びた。オペラ作曲家としての名声を不動のものとした名作「死の都」Op.12を書き上げた時、コルンゴルトはまだ22歳だった。

 1927年に最高傑作と自負するオペラ「ヘリアーネの奇蹟」Op.20が初演された時、彼の名声は頂点に達していた。ウィーン市から芸術勲章を授けられ、オーストリア大統領からは「充分な敬意をもって」ウィーン音楽大学の名誉教授の称号を贈られた。1932年には大新聞『新ウィーン日報』のアンケートでシェーンベルクと並んで存命する最大の作曲家に選ばれた。

 しかし、1923年以来オペレッタの編曲を続け、また1934年からハリウッドで映画音楽の仕事も手掛けるうちに、彼の評判には陰りが出始める。そこで心血を注いで5作目のオペラ「カトリーン」を書き上げ、1938年にウィーンで初演しようとした正にその時、ナチス・ドイツ軍がオーストリアに侵入し、この国を併合する。初演は流れ、コルンゴルトはそのままハリウッドで映画音楽を書きながら亡命生活を続けるほかなかった。『風雲児アドヴァース』(1936)と『ロビンフッドの冒険』(1938)はアカデミー作曲賞を受賞する。

 1945年、第2次世界大戦が終わると共に、コルンゴルトは純音楽の作曲に復帰し、弦楽四重奏曲第3番 Op.34、ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35、弦楽合奏のための交響的セレナード Op.39、交響曲嬰ヘ調 Op.40 など数々の傑作をものしたが、「映画音楽作曲家」のレッテルを貼られたコルンゴルトは、戦後のクラシック界からは認められず、夢にまで見たウィーン帰国も失敗に終わった。“ウィーンの神童”はカリフォルニアへ帰り、1957年に死ぬまでそこで不遇な晩年を送ったのである。

 天才児として出発し、一時はウィーン・オペラ界の彗星と期待されたコルンゴルトは、結局ハリウッドに魂を売り渡し、二流作曲家として生涯を終えた---という解釈が一般的である。だが、本当にそうなのだろうか? 彼の映画音楽や戦後の作品には価値はないのだろうか? 渡米後コルンゴルトは駄目になったと考える人々は、それらを実際に聴いて判断しているのだろうか?……
 どうもそうは思えない。コルンゴルトの創作力はハリウッド時代を含めて衰えたことなど一度もない。確かに語り口は時に甘いほど分かりやすくなったが、チャイコフスキーの例からも分かるように、甘美だからといって音楽的価値がないとは言えない。コルンゴルトの場合も、戦前の作品よりむしろ戦後の作品の方が、簡潔で引き締まっている場合が多い。
 コルンゴルトが非難されるのは、作品そのものではなく、セリエリスムに代表される当時の“進歩的”な音楽語法に背を向けてひたすら自らのロマンティシズムを追い続けた彼のスタイルに原因がある。当時絶対的な権力を握っていた前衛派の人々から見れば、20世紀の今日に、あんな時代錯誤の保守的な音楽を書き続ける音楽家がいることは許せなかったのである。

 偏狭なモダニズムによるコルンゴルト批判が不当であるように、コルンゴルトを「ウルトラ・モダニスト」と呼んだり、貴族的ウィーン文化の守護者に祭り上げたりした戦前のウィーンでの批評も的を得ていない。コルンゴルトの評価は、その時その時の歴史の手垢にまみれている。本書では、コルンゴルトを巡る歴史状況にも言及しながら、そうした手垢を洗い落とし、「現代」という時代に翻弄されたこの“天才”作曲家の真の姿に迫ってみたい。また、コルンゴルトの生涯と作品の変遷を辿ることで、20世紀という特殊な時代が音楽に深く刻み込んだ様々な陰影---政治と音楽のナイーヴな関係、ヨーロッパ亡命者がアメリカで経験する音楽文化摩擦、映画という新しい“総合芸術”と音楽家たちの出会いなど---が浮かび上がってくるであろう。」

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