生年月日 | : | 1989年4月7日生まれ・牝・芦毛 |
生産者 | : | 寺井文秀(北海道襟裳) |
父 | : | ダイナサンキュー |
母 | : | グロリーサクラ |
母の父 | : | シーホーク |
馬主 | : | 岩崎喜好 |
管理調教師 | : | 佐藤勝美(美浦北) |
競走成績 | : | 17戦5勝 |
主な勝ち鞍 | : | クイーンC 札幌記念 サファイヤS (2着・優駿牝馬) |
サンエイサンキューは美浦トレーニングセンター佐藤勝美厩舎に所属した競走馬。僅か1年半の競走生活にも関わらず競馬サークルを巻き込んだ騒動の渦中で淡々と走り続け、強い印象を残した。旧年齢3歳7月にデビューすると2戦目で勝ちあがり、オープン入りすると阪神牝馬Sをニシノフラワーの2着と能力の高さを示した。明け4歳はクイーンCで重賞初制覇したものの牡馬相手の弥生賞に挑戦し着外、桜花賞も7着に敗れた。オークスではアドラーブルの2着と持ち直し健在振りを示した。この時点で一度の休養も無かったものの、夏の札幌に遠征し古馬相手の札幌記念に優勝し最早サンエイサンキューの非凡さは明確なものとなった。
秋はエリザベス女王杯を目指したが函館記念、サファイヤS、ローズSの連戦に最早誰の目にも使い詰めの印象は否めず、エリザベス女王杯を前にトラブルが初めて表面化した。オークス以来主戦を勤めてきた田原成貴騎手が同馬の状態について「これで勝ったら坊主にする」といった発言をし、それをスポーツ誌が曖昧な取材のままに大きく報道したことからその発言の真意もさることながら当該誌の報道姿勢についても内外から批判が集まった。結果的には陣営の確執も表面化、エリザベス女王杯は5着に敗れ、次走の有馬記念は加藤和宏騎手に乗り替わりとなった。このレースを最後に休養することが陣営から発表されていたが、結果は最後の直線走路で右トウ側手根骨の骨折を発症し競走中止という最悪のものだった。
通常であれば予後不良が妥当な重症であったが、馬主の意向により患部固定による安静治療と複数回の手術が施された。蹄葉炎を併発するなど予断を許さない状況だったものの、自立できるまでの回復を見せた。しかしながら曲がった患部の再手術を施された後に状態が悪化、故障から1年10ヵ月後の1994年10月21日に心臓麻痺のため死亡した。
ダイナサンキュー | ノーザンテースト *Northern Taste |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Lady Victoria | Victoria Park | ||
Lady Angela | |||
メルシーダイナ | *Bold and Able | *Bold Lad (USA) | |
Real Delight | |||
スイートターフ | *Guersant | ||
アリエッタ | |||
グロリーサクラ | シーホーク *Sea Hawk |
Herbager | Vandale |
Flagette | |||
Sea Nymph | Free Man | ||
Sea Spray | |||
ジャガーサクラ | *Raffingora | Grey Sovereign | |
Cameo | |||
ヤシマキーパー | トビサクラ | ||
昇城 |