埼玉県出身。歌手、作詞・作曲家。「パラキン」の愛称で親しまれ、1960年代に「ステキなタイミング」などのヒットで一世を風びした人気グループ、パラダイスキングのリーダー。坂本九、九重佑三子の“育ての親”としても知られる。
1956年に「ダニー飯田とパラダイスキング」を結成、ハワイアンからポップスへと幅を広げ「悲しき六十才」「シェリー」など、米国のポップスを訳詞で歌う曲を大ヒットさせた。60年代には坂本九(故人)や九重佑三子をボーカルに起用して、スターに育てた。坂本九には歌唱指導のほかに、のビクター時代のデビュー曲「題名のない歌だけど」なども作曲してプレゼントしていた