David Trézéguet
フランスとアルゼンチンの国籍を持つサッカー選手 (フランス代表歴あり)
フルネーム : David Sergio Trézéguet (ダヴィド・セルジオ・トレゼゲ)
生年月日 : 1977年10月15日
出生地 : Rouen, Seine-Maritime, Haute-Normandie (ルーアン、セーヌ・マリティーム県、オート・ノルマンディー地域圏)
身長・体重 : 190cm・80kg
ポジション : センターフォワード
1993〜95 : CAプラテンセ (アルゼンチン)
1995〜00 : ASモナコFC (モナコ)
2000〜10 : ユヴェントスFC (イタリア)
2010〜11 : エルクレスCF (スペイン)
2011 : バニヤスSC / Baniyas Sports Club (アラブ首長国連邦) ※2011年8月30日に移籍、11月21日に契約解除
2011〜 : CAリーベル・プレート (アルゼンチン) ※2011年12月19日に契約
抜群の決定力を誇るフランス代表歴のあるストライカー。
フランスのルーアンで生まれ、2歳の時からアルゼンチンで育つ (両親はアルゼンチン人)。アルゼンチンのCAプラテンセでのプレーをASモナコFCのスカウトに見出され、1995年にフランスへと帰還。1996-97シーズンのリーグ優勝時は5試合と出場機会には恵まれなかったが、UEFAチャンピオンズリーグの準々決勝ではマンチェスター・ユナイテッドFCを退けるゴールを記録。1997-98シーズンよりレギュラーに定着し、27試合18ゴールを記録する。1999-00シーズンには20試合で22ゴールを記録しクラブのリーグ・アン制覇に貢献した。
2000年の夏にユヴェントスFCに加入。新天地でのスタートはケガに悩まされたが、リーグ戦25試合に出場して14ゴールという結果を残す。2001-02シーズンには24得点を記録し、得点王獲得と同時にクラブのスクデット獲得に貢献。24ゴールを記録。
2002-03シーズンは膝の大怪我のため多くの出場機会を失ってしまったが、17試合に出場して9ゴールを挙げユヴェントスFCのセリエA連覇に貢献。UEFAチャンピオンズリーグでも10試合で4ゴールをマークしている。
2006年にカルチョ・スキャンダルが発覚した後もユヴェントスFCに残留した。2007年、セリエA通算100ゴールを記録する。
1998年1月28日のスペイン戦でフランス代表デビュー。地元フランスで開催された1998年FIFAワールドカップで優勝を経験。2000年UEFA欧州選手権決勝戦では延長でゴールデンゴールを決めるなどの活躍で優勝に貢献。2002年FIFAワールドカップではグループステージ敗退、EURO2004ではベスト8敗退。2006年FIFAワールドカップでは準優勝したが自身の出場機会は少なく (7試合中3試合に出場し、そのうち2試合が途中出場)、PK戦までもつれたイタリアとの決勝では唯一PKを失敗し、失意の大会となった。2008年7月9日、レイモン・ドメネク監督との確執から代表引退を表明した。