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トリノ聖骸布

(一般)
とりのせいがいふ

The Shroud of Turin.
キリストの亡骸を包み、その痕跡が残ったとされる亜麻布。縦4.36m×横1.10m。
現在はバチカン市国が所有し、トリノ市の聖ヨハネ大聖堂に保管されている。

年代表

  • 14世紀初頭
    • 最初の所有者ジョフロワ・ド・シャルニ、リレイの聖骸布を所有する。
    • 前ポワティエ司教アンリの入念な審問と調査の結果、聖骸布の制作者から贋作であるとの証言を得る。
  • 1356年
    • ジョフロワ、ポワティエの戦いで死亡。聖骸布がリレイの教会での展示を熱望する息子に遺贈される。
    • ポワティエ司教ピエール・ダルシ、ジョフロワの妻ジャンヌ・ド・ヴィルジに公開を中止するよう命じる。
    • ダルシ司教、騒ぎを惧れ教皇インノケンティウス6世へ直訴状を送る。
  • ジャンヌ、のちの教皇の叔父にあたるエイモン・ド・ジェノヴァと再婚。
  • 教皇、ジョフロワの息子に「キリストの顔、または肖像だと公言するなら聖骸布の展示を認める」とする親書を送る。
  • ジョフロワの孫娘マルガリート、聖骸布を相続する。
  • 1449年
    • マルガリート、リエージュの教会で展示。
  • 1453年
    • サヴォイア公国が所有。首都シャンベリで崇拝される。
  • 1578年
    • トリノ市の教会が所有。
  • 1898年
    • アマチュア写真家セコンド・ピア、聖骸布の写真のネガに人間の像を発見。新聞各紙に掲載され、専門家がイエスの遺体を引取ったアリマタヤのヨセフが包んだ屍衣であると主張。
  • 1931年
    • ジュウゼッペ・エンリエがさらに鮮明な写真を撮影。
  • 1950年代
    • アメリカ合衆国でマッカーシズム旋風。聖骸布に疑いを持つものはデモクラシーの敵、共産主義者、無神論者であるとされた。
  • 1969年
    • 極秘裏に第1回目の科学調査が実施。
  • 1978年
    • トリノ聖骸布調査プロジェクト(STURP;The Shroud of TUrin Research Project)による科学調査が実施。
  • 1983年
    • サヴォイア家のウンベルト2世が死去、 遺言によりバチカンに寄贈されたが、 寄贈者の意思を尊重してトリノ市に残されている。
  • 1988年
    • 4月に放射性炭素年代測定(カーボン14)が実施。10月13日、聖骸布は1260年〜1390年の間ものである、と発表。
  • 1995年
    • ピクネット、プリンス共著、新井雅代訳『トリノ聖骸布の謎』が出版。聖骸布の制作者はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)である、とする。


参考・引用文献:
トマス・ホーヴィング「にせもの美術史」
ガエタノ・コンプリ「聖骸布」

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