<お詫び> ▼仇桜(ブログの枕単編) 「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞) 桜を見ながら親鸞が浮世の儚さを桜に仮託して詠んだ和歌を思い出しましたが、日本人は散華の美に象徴されるように桜に多様なプロジェクション(投射)を見い出す独特な感性を持っています。この点、「をかし」の文学と言われる清少納言の「枕草紙」は客観的な美(シンパシー:自分の立場から対象を理解する同情)を描いているのに対し、「あはれ」の文学と言われる紫式部の「源氏物語」は主観的な美(エンパシー:対象の立場から対象と同化する共感)を描いていると言われますが、親鸞の和歌などを詠むにつけて日本人は「をかし」を…