ニコライ・イヴァノヴィッチ・ヴァヴィロフ(Nikolai Ivanovich Vavilov, Николай Иванович Вавилов、日本では「バビロフ」と記載されることもある)
1887年11月25日 - 1943年1月26日
ロシア(ソヴィエト連邦)の植物学者。
主な研究業績としては以下のようなものがある。
1920年代〜1930年代前半には、応用植物学研究所(のちに連邦植物栽培研究所)所長、ソビエト科学アカデミー遺伝学研究所所長、連邦地理学会会長を歴任し、1926年にはレーニン賞を受賞。
しかし1935年以降、スターリン政権下でルイセンコ一派の台頭した結果、メンデル遺伝学に基づく遺伝子の働きを唱えたヴァヴィロフらは、「ブルジョワ的」として迫害された。特にヴァヴィロフはイギリスへの留学歴があり、西側諸国からの評価も高かったことから厳しい弾圧に遭い、1940年に投獄され、1943年に獄死*2。
しかし1955年には名誉回復され、ソビエト科学アカデミーはヴァヴィロフにちなんで1965年にヴァヴィロフ賞、1968年にヴァヴィロフメダルを創設した。
弟に物理学者となったセルゲイ・ヴァヴィロフがいる。
参考文献: