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パウル・ハウサー

(一般)
ぱうるはうさー

パウル・ハウサー(1880年〜1972年)
ドイツ軍人
最終階級:SS上級大将
受章:柏葉剣付騎士十字章
最終学歴:プロイセン士官学校卒

年譜

第一次世界大戦では参謀将校として従軍.
1932年:中将で国防軍を退役し鉄兜団に入団.
鉄兜団はその後、SA(突撃隊)に統合されSA大佐、SS大佐を歴任.
その後SS戦闘部隊の初代総監に任命される.
SS-VT師団長として西部戦線、東部戦線でも活躍.
1942年:SS装甲軍団長
1944年:第2SS装甲軍団長、第七軍司令官.
1945年:G軍集団長.
戦後は武装SSの名誉を守るために活動した.武装SS相互扶助協会

語録

「わたしのような老人にはそれでかまわん。だが、表にいる若者達にそれを強いることはできぬのだ。直ちにわたしの命令を軍団に通達したまえ」
1943年2月15日ハリコフ攻防戦においてソ連軍の包囲を前にして,ヒトラーの死守命令を無視した.
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