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パンチョ・ビラ

(スポーツ)
ぱんちょびら

パンチョ・ビラ(Pancho Villa)
本名はフランシスコ・ギレド。
当時のメキシコの有名な盗賊にあやかって「ビラ」を名のった。


国籍:フィリピン
プロボクシング、第2代世界フライ級チャンピオン
生年月日:1901.8.1
戦績:73勝22KO5敗4分23無判定試合


アジア人初の世界王者になった男がこのパンチョ・ビラである。
同じアジア人が世界王者になったことで、日本人にとっても世界タイトルが身近に感じられるようになったこともあり、当時の日本でもパンチョ・ビラの名前は有名だったという。
ビラはフィリピンのイロイロ島出身。プロデビューは1919年、18歳の時。
順調にキャリアを重ねたビラは、1922年にチャンスを求めてボクシングの本場アメリカに渡る。
“小型デンプシー”と呼ばれる力強く、すさまじいラッシャーなボクシングで人気を集めた。
全米フライ級タイトルを獲得するなど、快進撃を続けたビラに比較的早くチャンスは訪れた。
1923年6月、初代世界フライ級王者のジミー・ワイルド(英国)に挑戦したビラは、名王者ワイルドに臆することなく積極果敢に攻め続け、7回KOで歓喜の世界王座獲得を果たし、一気に世界的な名声を得ることとなった。
順調に防衛も続け、まだ若かったこともあり、ビラの前途は洋々に思われた。が、
しかし意外な落とし穴があった。
親知らずを抜歯し、完治しないままに戦ったノンタイトル戦に敗れ、さらに10日後には試合の無理がたたって敗血症(破傷風)で24歳を目前に、現役の王者のまま突然帰らぬ人となってしまった。


ビラの遺体は軍艦によってフィリピンに運ばれたが、10万人を超えるファンが涙で出迎え、母国の英雄の死を悼んだという。
現在のフィリピンの英雄はマニー・パッキャオだが、ビラの人気は今でも、パッキャオの前の比国最大の英雄だったフラッシュ・エロルデと並び別格である

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