Mihailo Petrović
セルビア出身でオーストリア国籍の元サッカー選手、サッカー指導者。
1957年10月18日生まれ。
現役時代のポジションはミッドフィルダー、ディフェンダー。1980年にはユーゴスラビア代表としてFIFAワールドカップ予選に出場。
1993年に現役引退。1994年、SVペラウで指導者としてのキャリアをスタート。1996年、SKシュトゥルム・グラーツにてイビチャ・オシム監督の元でアシスタントコーチ兼アマチュアチーム監督を務めた。その後はオーストリアやスロベニアのクラブの監督を歴任。
2006年、サンフレッチェ広島の監督として来日。3-6-1のフォーメーションで、ディフェンスラインからパスを繋ぐ攻撃的なサッカーを志向して成果を挙げた。2007年にJ2降格を経験したが、2008年はJ2で優勝してわずか1年でJ1に復帰。2009年シーズンはリーグ戦4位に入り、2010年にはJリーグカップで準優勝したものの、3大タイトルの獲得はならなかった。若手選手の育成に定評があり、槙野智章、柏木陽介、森脇良太、青山敏弘らは日本代表に選出されるまでに成長した。
2011年限りで広島の監督を退任。2012年より浦和レッズの監督に就任した。