ロシアに遠征すること。遠征するのは別にモンゴル軍でもサッカー代表チームでもなんでもいいが、普通はナポレオン麾下の大陸軍が1812年に行ったものこと。
La Campagne de Russie (仏)
1812年6月23日〜12月
1812年戦役。ロシア側呼称としては祖国戦争。
フランス軍に、さらに同盟諸国の軍多数を加えて総数50万とも70万とも言われる大遠征軍が組織され、大陸封鎖令への違反を理由としてロシア帝国に侵攻。
が、大陸軍はロシア側の焦土作戦にはまり、行軍する間に消耗。スモレンスクとボロディノの両会戦でも完勝できず、ついでに炎上したモスクワでぐずぐずしたために冬季が訪れる。あわてて撤退を開始するが、冬将軍の援軍を得たロシア軍の追撃を受けて撤退は大混乱に陥る。
ついにベレジナの渡河点で大陸軍は完全に崩壊、ニェーメン河を越えて撤退できたのはわずか5000名であったと伝えられる。
翌年、ナポレオンは不屈の闘志でもって軍を再建するが、無敵伝説は終焉を迎えていた。プロイセン、スウェーデン、オーストリアなどがナポレオン帝国に対して反旗を翻し、1813年戦役はドイツで決戦が行われることになる。