奥羽越列藩同盟と言っても明治新政府が許すはずもない会津藩、庄内藩は別として奥羽鎮撫総督府下参謀世良修蔵を殺害した仙台藩と何故か積極的抗戦派の米沢藩以外の諸藩は新政府と戦争したくなかったと思います。それはそうでしょう。関東や北陸以西(長岡藩など東越後は除く)の諸藩は、親藩譜代外様の別なくことごとく明治新政府に恭順していたのですから。 尊王攘夷という思想は当時の流行でした。水戸藩の徳川光圀が編纂した大日本史は当時の教養人なら誰でも読んでいた歴史書で一般にも尊王思想が浸透していました。各藩に佐幕派もいれば勤皇派もいたので、幕府方が旗色悪くなると藩の勤皇派が実権を握るようになるのです。それまでは各藩程…