政治家。大正2(1913年)12月15日福島で生まれ、農水省・局次長より政界入り。
第2次大平正芳内閣で官房長官、さらに急死した大平にかわり臨時首相代理を務めたのち、続く鈴木善幸内閣では外相に就任した。
竹下登内閣がリクルート事件により総辞職したのち、後任を請われるも断ったエピソードも残る。
平成6年(1994年)5月20日、肺炎のため東京の自宅で死去。
1979年 | 大平内閣で官房長官、大平首相死去に伴い、1ヶ月強、臨時首相代理を務める。 |
1980年 | 鈴木善幸内閣時外務大臣を務める |
1989年 | 竹下内閣辞任時、自民党総務会長の職にあり、総理に推されるも辞退する。 |
1994年 | 肺炎のため東京の自宅で死去。 |