岡山県の宇野駅と香川県の高松駅を結んでいた鉄道連絡船。国鉄(1987年からはJR四国)が運営した。 1910年の開設から1988年の瀬戸大橋開通まで、本州と四国を結ぶ重要な役割を果たした。航路自体は瀬戸大橋開通後も高速艇による営業が継続されたが、それも1990年には休止、翌年正式に廃止となった。
宇野・高松間の航路では、民間会社3社によるフェリーが運行されている。
先週、函館で青函連絡船・摩周丸に会って、懐かしい思い出がよみがえり、当時を思い出しながら旅情にひたってみました。 (いずれも2024年12月20日撮影) まだまだハナタレだった社会人2年目から、全国展開のシステム構築にSE(システムエンジニア)として携わっていた。当時はOA(Office Automation)が全盛で、1~2年かけてシステムを設計・開発、その後、全国の支店・営業所を回ってシステムのセットアップ、現地調整、トレーニングを行った、今の私の原点ともいえる仕事。 ■ はじめての北海道、昭和59年(1984年)冬 仙台~盛岡の後、花巻空港から千歳空港に向かう予定だった。翌日9時に札幌支…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 2月の末に更新して以来、ご無沙汰しております。 2月の初めに頸椎の手術を受け、その間、療養に専念しておりました。5月に入って主治医から「ふつうの生活に戻ってよい」とのお許しをいただき、体調もぼちぼちと戻ってまいりました。 手術と簡単に書きますが、想像以上に体力を奪われるものでした。以前にも、全身麻酔の手術を受けたことがありますが、このときは1時間ほどの簡単なものでした。その経験から、「今回も楽勝♪」などとたかをくくっていたのが間違いの元。今回の手術は4時間半のロングランになり、その分だけ体力も奪われてヘロヘロでした。 ブログの執筆も手…
宇高連絡船はかつて四国の高松駅と岡山県の宇野駅の間を国鉄が航行していた鉄道連絡船だった。私は高松で小学生時代を送ったが、当時はまだ瀬戸大橋は出来ていなかったので、故郷の神戸に帰省するときは必ずこの連絡船に乗った。そしてこの時にいつも食べたのが高松駅の駅弁「あなごめし」だった。この弁当は本当に美味しかった。この弁当を食べることは私にとって連絡船に乗る最大の楽しみだった記憶が今でもある。 私が最後に宇高連絡船に乗ったのは、父の転勤で高松から京都に引っ越した時だった。3月の転勤や卒業に伴う引越しのシーズン真っ最中の時期であったこともあり、宇高連絡船の乗り場は見送りの人たちで大変な賑わいだった。父の会…
さようなら宇高航路… 本州ー四国間を移動する手段として長らく運航されていた、岡山県の宇野港と香川県の高松港を結ぶ「宇高航路」。 瀬戸大橋が建設される前は青函連絡船や関門連絡船と並び、「鉄道連絡線」としての役割を担っていました。 車も鉄道も通ることができる瀬戸大橋が開業すると、民間のフェリーも含めて「宇高航路」は縮小傾向に転じます。 寝台特急「サンライズ瀬戸」も朝に瀬戸大橋を通過する。 しかし、コスト面でフェリーが瀬戸大橋に勝っていたり、瀬戸大橋が何らかの事情で通行規制となったときの代替輸送など、フェリーには一部の需要がありました。 結局、瀬戸大橋開業後約30年間宇高航路は存続していましたが、高…
前編の屋外展示に続き、後編は館内展示編です。 電車・気動車の実車展示 機関車・貨車の実車展示 模型展示 鉄道大ジオラマ 鉄道の歴史 その他展示 スカイテラス 旧二条駅舎 最後の御堂筋線「千里中央」行き 電車・気動車の実車展示 583系先頭車。高運転台の下に貫通扉を設けながら流麗さを感じさせるデザインと塗り分けが実に秀逸です。 展示車は運転室後方に機器室があるクハネ581です。 寝台の高さはかなり窮屈そうですが幅は充分に見えます。 碓氷峠越え仕様の489系。車番の前に協調運転対応を示す赤丸が入っています。 こだま型元祖のクハ151。 キハ81「ブルドッグ」。タブレット受け渡しのため運転台が低めに…
1979年 日本 あらすじ 原作は、佐木隆三の直木賞受賞作で、5人が殺害された実際の事件を題材にした同名長編小説。鬼才・今村昌平が、稀代の殺人鬼の犯行の軌跡と人間像を描く。キネマ旬報ベスト・テン1位、ブルーリボン賞他受賞。 日豊本線築橋駅近くで、多額の現金が奪われ惨殺されたふたつの死体が発見された。容疑者として浮かび上がったのは、榎津巌という男。しかし榎津は警察の追及をあざ笑うかのように、逃亡を続ける……。 復讐するは我にあり 緒形拳 Amazon 復讐するは我にあり(上) (講談社文庫) 作者:佐木隆三 講談社 Amazon 2023.9.30 BS松竹東急録画。 この事件の概要は以前、 「…
前編はこちらになります。 今回は長めなので気長に読んでください。 sanzoku-man.hatenablog.com 今回は出雲市から高松を目指します。 Superなやくもに逢いに行く やくもの主戦場、伯備線 快速列車、海を渡る 四国のインターアーバン ことでん 金刀比羅宮RTA 伊豆半島からの``使者`` 高松空港から日常へ おわりに Superなやくもに逢いに行く おはようございます。前日に比べて遅めにスタート。 ひとまず米子を目指すのでやくもに乗ります。 それにしても朝から緑色のやくもに乗れて幸先いいですね。ただ、乗ってしまえば色なんてどれも同じですが。。。 この列車に乗って先日スーパ…
小さくなった宇野駅に降り立つ 宇野駅はローカル列車のみが発着(深水千翔撮影)。 岡山県玉野市に所在するJR宇野駅は、1面2線のホームと駅舎で構成された終着駅です。岡山駅を起点とする宇野線の終点ではあるものの、特急「しおかぜ」や快速「マリンライナー」など多くの列車は、途中の茶屋町駅で瀬戸大橋線(本四備讃線)へ入っていくため、茶屋町―宇野間は普通列車によるローカル運用に徹しています。 【信じられん…】四国の玄関「宇野駅」かつての姿と今(写真) この駅に、かつて特急「瀬戸」や「富士」、「鷲羽」といった優等列車が到着し、四国の高松港を結ぶ「宇高連絡船」の接続駅として賑わっていたとは想像がつかないでしょ…
この列車へご乗車いただき、ありがとうございます。 TSEが見られますよ。 ロイヤルを撮影すべく布陣致しましたショバで 歓談しておりました折、競馬氏からそんな話が 出て来ました。 何でもJR四国の多度津工場構内で保存されて おります2000系試作気動車、通称TSEと既に 除籍されているDE10が、塀越しに見られる かもという話でございます。 ロイヤル撮影の行程を終え、帰り道でちょっと 寄れば見られるかも知れませんがどうします? という競馬氏からのご提案にワタクシと盟友 ブログ友氏は飛びつきまして、オマケツアーが 始まったのでございます。 題して、 覗き見!多度津工場こっそり訪問ツアー。 ツアー費…
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [15] 岡山県 倉敷市 《 下津井港 》 瀬戸大橋の建設に着工して4か月後。 私達は鷲羽山から「架橋される前の姿を見るため」、淡路島から香川県を抜け下津井に入港し岡山へと向かった。 1979.02.12 丸亀発のフェリーから見る下津井…倉敷市 1979.02.12 下津井港と下津井の街並み…倉敷市 1979.02.12下津井港と下津井の街並み…倉敷市 1979.02.12 下津井港と下津井の街並み…倉敷市 …
2月2日 Xには投稿しておりませんが、 車で岡山県玉野市まで行きました。 玉野市といえば、 本州と四国を結んでいた鉄道連絡船「宇高連絡船」の 本州側の港、宇野港がある所です。 お目当ては玉野市立図書館で開催中の 「内尾和正 心描画展」。 アニメ「魔女の旅々」でコンセプトアートを担当された 内尾和正さんの絵が展示してあります。 私は内尾さんの絵が大好きです。 内尾さんの絵の鑑賞が終わった後は 近くの回転すし屋さんで晩ごはん。 瀬戸内海沿いのお店のおかげなのか おいしいお魚がそろっていました。 自宅に帰ってきた時は 日付が2月3日になっていました。 このドライブはちょっときつかった。
いつの時代も、新しい言葉が現れ、また、古い言葉が使われなくなる。数年前、30歳前後の人に「国鉄」の話をしたが、あまり理解できなかったようだ。それで、国鉄を知っているか聞いたところ、知らないと言う。国鉄は、日本国有鉄道の略で、今のJRの前身だと説明したら理解できた。(国鉄=JNR:Japan National Railways) それなら、「連絡船」も知らないのでは?と思って聞いたら、やはり知らなかった。連絡船は、海で隔離された鉄道の路線を結ぶために走る船のこと。代表的な連絡船、青函連絡船と宇高連絡船は30年以上前に廃止されている。だから若い人は連絡船を知らないで当然だ。昔、使っていた言葉がどん…
めりけんや高松駅前店はその名の通り高松駅の真ん前で早朝から営業しています。伝説の「連絡船うどん」を運営していた店で、久しぶりに懐かしい味を思い出すことができました。 今や伝説の「宇高連絡船のうどん」 高松駅前の行列店 この日も行列ができていた 懐かしの「連絡船うどん」の味だった めりけんや高松駅前店について 主なメニュー 地図 店舗概要 お勧め記事 今や伝説の「宇高連絡船のうどん」 瀬戸大橋が完成するまで、四国に入る最も標準的なルートは岡山から宇野線で宇野へ向かい、そして宇高連絡船で高松に出るというものでした。船の後部甲板ではうどんが販売されており、連絡船が廃止となって36年が経過した今でも讃…
岡山駅の懐鉄入場券です。 岡山駅では、「寝台特急瀬戸」と「特急いなば」の2種類が発売されていました*1。 瀬戸は東京駅発着の四国連絡夜行列車として使われていた愛称で、当初は急行でしたが、1972年に特急に格上げされてます。 当時の運転区間は東京~宇野間で、宇野では宇高連絡船に接続していました。 1988年の本四備讃線開通により、運転区間が東京~高松間に変更されています。 1998年には瀬戸が285系に置き換わる形で電車化され、列車愛称も「サンライズ瀬戸」に変更されて今に至っています。 いなばは、従来岡山~鳥取間を津山線・因美線経由で運転していた急行砂丘の代わりとして登場した列車です。経路は山陽…
登頂日:11月5日 この日はバス無料デーでしたので11月3日に続きまして深山公園にハイキングしてきました。 深山公園入口のバス停を降りて、すぐの道の駅でチキンコロッケをいただきました。 100円で揚げたてを食べられるので最高です! ↑熱々のコロッケ ↑中身はこんな感じ 紅葉谷まで歩きましたけど一部見頃にすぎず… ↑シナモンと紅葉 ↑一部見頃の紅葉🍁 その後は天狗山を目指すべくみやま公園の頂上を目指します。 そして絶景ポイントにてお昼を食べます。 ↑岩場からの絶景ビュー ↑山で食べるお弁当は格別‼️ 岩場で休憩後は天狗山を目指します。急坂を下りきって再度登るから意外とキツイ‼️ ↑猪爪岩 ↑天狗…
岡山で「天神ぞば」を食べてから、JR岡山駅に歩いてると、 「MOMO」に遭遇 広島電鉄ほどではないが、岡鉄も新型車両が投入さえています。 現在はJR岡山駅と岡鉄の岡山駅が少し離れているので、利便性を向上させるため岡鉄の 岡山駅をJRに近づける工事を計画しているようだ。 JR高松駅の再開発の頃、JR高松駅に琴電高松築港駅を近づける計画は以前は官民一体というか、高松市が主導していたのですが、お金がないとかの理由で中止。JR高松駅の再開発のため、JRと琴電が再開発前より遠くなったまま放置である。 クルマ社会のためクルマ優先の街作りになってしまっている香川県ですが、JR高松駅と琴電高松築港駅の問題は零…
偶然、「となみ」と書かれた駅の看板が目に止まりました。写真撮り損ねたので、GoogleMapから拝借。どうやら、かつて鉄道がこの辺を走っていたらしい。三蟠(さんばん)鉄道という。目指すは三蟠鉄道の起点、旧三蟠港。旧三蟠港についても先のブログが詳しいです。 旧三蟠港 - sogensyookuのブログまずは地図にて場所の確認。旭川の左岸に沿って線路が敷かれてます。1910年の宇野港の開港(=宇高連絡船運行開始)によって岡山外港の地位を奪われたことによる地域衰退に抗うために、1915年に建設された鉄道だったのですが、わずか16年後(=1931年)に廃止されてしまいました。遺構は市街化によって破壊さ…
ため池と整然と広がる美しい街、水田の中に見える丸亀城、そして美しい堀とツルボ、ふらりと立ち寄った資料館での古地図や 種痘の記録、満ち足りた気分で駅へと向かう途中のビルの前に金属製の表示板がありました。 丸亀城址水路跡 ここにある水路は江戸時代末期のものと推定され、丸亀郵便局下層遺跡の発掘調査により出土されたものです。丸亀城外堀から東側へ約5.5m離れたところから、南北方向に延びており、外堀へ抜ける石組暗渠と交差する所に正方形の石組升を配しています。 この升の長さは約0.86mあり、四方とともそれぞれ違った組み方をしています。 水路の幅は約0.3mあり升から北へ約9m、南へ約4.5m出土しました…