かつて福井県にあった郡。2006年3月3日に最後まで属していた名田庄村が大飯郡大飯町と合併して大飯郡おおい町が発足したため消滅した。
(2024/4/24) 『日本怪異妖怪事典 中部』 高橋郁丸、毛利恵太、怪作戦テラ、朝里樹 笠間書院 2022/8/26 <井戸菊の谷の狒々> ・筆者命名。富山県中新川郡上市町伊折の話。 『三州奇談』巻之五に「異獣似鬼」として記されている。 この猅々は風雲を起こして風の中を飛行する。よく人を引き裂いて、投げ散らかして捨てるのだという。 昔、伊折村に源助という樵がいた。彼は大力で足も速く、二、三人の友と山で猟をして獣の肉を食おうと山に入ったところ、一日のうちに猿や狸などを70匹余り、刀を使わず拳で打ち殺してきたというほどの覇気の者であった。ある時、井戸菊の谷という所に樵たちが初めて入ろうとしたら…
(昨日の続き) 世界中の文学のルーツには悲劇がある。悲劇には、人間の心の深いところを揺さぶる力がある。だから後々まで伝承され、記憶が引き継がれる。 現代社会のように、人間の欲望を刺激するものが溢れ、悩みや不安を一時的に紛らわす娯楽に不自由しない状況でも、人のために尽くすことを願う人たちも多い。 欧米風に表現することが好まれる現代では、「コンパッション」という言葉が使われる。これは、相手を深く理解し、相手の役に立ちたいという純粋な思いを持ち、相手と共にある力のこと。 古代においても、この「コンパッション」の道を歩むものがいて、それが巫であった。 古事記において登場する女性の多くは、この巫であり、…
前回に引き続き、記事の内容がなんだか「馬借・車借」というメインテーマからは、若干外れた内容になってしまっているような気がするが、ご容赦を・・・ さて河村瑞賢による「西廻り航路」開拓により、これまでより遥かに効率的かつ大々的に、米を運べることになった。これにより日本全国ほぼ全ての人が恩恵を受けたわけだが、その唯一の例外が、これまで琵琶湖経由ルートの利用により潤っていた人々である。 「若狭遠敷郡誌」には、西廻り航路以前に小浜から九里街道を通って、琵琶湖まで運ばれた荷は、年20万駄ほどであったが、それ以降は年1万7千駄にまで減ってしまった、とある。なんと92%の減である。 このように一気に衰退してし…
熊野山 神明社の在る場所が、熊野山。 『大日本地名辞書』補【熊野山】遠敷郡○郡県志、後瀬の連峰にして而して西南に在り、山腹に熊野十二権現の社あり、其中間の役の小角の像を安ず、今の山伏なるもの小角の末徒なり、故に国中の山伏之を尊崇す、凡そ国中の山伏五六十人あり、○貞享四年秋三方郡早瀬浦の三光院、洛東聖護院門主に訟へ、請ふて国中一方の山伏の長となる、聖護院に属す、また小浜行蔵院、竹原泉蔵院、野代村西蔵院、多良庄村福寿院等は三光院に与みせず、別に聖護院に属し而して国中一方の長となる、皆真言の山伏なり。 『定本柳田国男集第七巻』「東北文学の研究」「清悦物語まで」八百比丘尼の事若狭の方面には「沖のすさび…
丹生弘吉。これは母子の和やかな食事のシーン。外には畑。畑の上にロープが張ってあって、ぶら下がっている小さな札みたいなのは鳴子でしょうか。 丹生弘吉(にふのひろよし) 若州遠敷郡の農民なり 父にはいとけなくしてわかれ 母に孝をつくすこと 人にこえたり 他所へゆくときは まづ父の墓に詣でて泪を流し 経など読み しかして母の心もよく慰め 其のち ゆきしとぞ されば其里 いかなる不作の年といへども 弘吉が田畠には水損旱損の うれひもなく また虫のつくこともなかりけり このよし 禁庭へきこへ その国をたまはり 高き位にのぼりしとなん ーーー 中国の二十四孝のお話だと、冷酷な親に対してけなげに尽くしたり、…
若狭姫神社わかさひめじんじゃ 若狭姫神社 基本情報 御祭神豊玉姫命 創建養老5年(721年) 所在地福井県小浜市遠敷65-41 公式サイトなし アクセスJR小浜線・東小浜駅から徒歩10分。 御朱印 御朱印 参拝日:2023年9月9日初穂料:300円(直書)授与所:授与所 <御由緒>若狭一の宮は神社の記録によりますと、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。若狭一の宮は上社と下社の総称ですが、ふつう上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼んでいます。彦神社は和銅7年(714)遠敷郡下根来村白石に創られましたが、霊亀元年(715)現在の地に遷社したとされています。…
若狭彦神社わかさひこじんじゃ 若狭彦神社 基本情報 御祭神彦火火出見尊 創建(伝)和銅7年(714年) 所在地福井県小浜市龍前28-7 公式サイトなし アクセスJR小浜線・東小浜駅から徒歩30分。 御朱印 御朱印 参拝日:2023年9月9日初穂料:300円(直書)授与所:若狭姫神社授与所 <御由緒>若狭彦神社の上社の祭神は「彦火火出見尊」で「若狭彦大神」と称え奉り、下社の祭神は「豊玉姫命」で「若狭姫大神」と称え奉る。若狭国遠敷郡西郷ノ内、霊河の源、白石の上に、先ず彦神、次いで姫神が降臨されたので、その地に仮に社殿を営み、後、元正天皇の霊亀元年(715)9月10日に今の地に遷し奉ったと伝えている…
第1弾・第2弾から引き続き、↓の論文についてご紹介。 高浜州賀子, 細川幽斎・三斎・忠利をめぐる禅宗文化(1), 研究紀要(熊本県立美術館研究紀要), 1, 5-31, 1987 今回でラストかな。
小浜市遠敷郡支部と言うのが有りまして その宮仕総代代議員総会に出席して来ました。 場所は下賀茂神社。 宮司さんに説明を受けながら、境内を見学。 そして、 正式参拝。 宮司さん8人、宮仕総代さんが20人の参加。 正式参拝なので、皆さんスーツにネクタイ。 35度の猛暑の中、汗を流しながら厳かに時が流れて行きました。 その後場所を変えて、 総会。 なんと私は議長を仰せつかされました。 4年ぶりの事なので、事務局さんも何をして良いのかわからないらしい。 手探りの状態なので原稿も無し(笑) まぁいつも原稿通りに読まないので、無くてもエエかな?? 総会が終わり昼食。 時間が有るので、 熱風が吹く中、上賀茂…
ひっきりなしに車が通る国道27号線沿いにある遠敷(おにゅう)バス停で下車し、少し遠敷川の方へ戻ったあと、県道35号線へと曲がりました。 すでにどこからか水路に水が流れる音が聞こえてきます。県道から山裾沿いを通る道へと寄り道してみました。コンクリートの蓋がしてあるので通り過ぎそうになりましたが、少し開渠になった場所を覗くときれいな水が勢いよく流れていました。 「遠敷の街並み」という案内板がありました。 針畑越え 最古の鯖街道の歴史的景観 遠敷の街並み 若狭街道と針畑越え(根来坂)の分岐点に広がる街並み。古代には、付近に若狭一宮、国分寺、国府が置かれた若狭中心地でした。江戸時代には北前船で運ばれた…
2023-05-14 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 3 月 25 日>(先負 壬申 三碧木星) Halvard Halvar 第 19 週 第 27123 日 そんなことがあってからさらに十年が過ぎた。應保の御代となり、二条院御在位の時であったが、またしても鵼といふ化鳥が禁中に鳴いて、しばしば宸襟をなやますことがあった。先例があるので今回も頼政の出番である。ころはさつき二十日あまりのまだ宵のことであった。鵼がただ一声鳴いて、二声鳴かなかった。何かで目を刺してもわからないほどの暗闇の中である。すがたかたちが見えないので、矢の狙ひどころもわからない。頼政は一計を案じた。まづ大鏑を取ってつがひ、鵼の…