政治家 (1911年6月22日〜2001年5月24日) 兵庫県出身。三光汽船の社員だったが、1949年に衆院選に初当選。以来17期務める。 自民党では、三木武夫派に属し、同派の後継者として自民党総裁の座に近いと言われた。顔が無表情のため、ぞくに「ワラワン殿下」の異名まで取った。 1996年に高齢を理由に引退し、地盤を三男の三郎に譲った。2001年に死去。