">そもそもキリスト教の中心的教義である「イエス・キリストによる罪の贖い」の意味は、神(御父=エホバ)の聖性を実感する信仰の恵みを与えられていてこそ理解できる。すなわちキリスト信仰に先立って神信仰が成立していなければキリスト教は成り立たない。聖書において神と人とは相互浸透(ペリコレーシス)しない。神が人に成ることは全能において可ではあるが、人が神に成ることはあり得ない。従ってカルケドン信条における「真に神、真に人」というキリスト論は、父と子と聖霊が同一の本質・実体であり同等の位格であるとする三位一体神信仰とは整合しない。イエス・キリストは「真に神」であるだけではなく「真に人」であるからだ。三位…