およそ2500年前に発生したと見られている、富士山の大崩壊による岩屑雪崩。崩落した山体は泥流となり、御殿場の付近を広範囲に覆い駿河湾へ流れた。 文部科学省は2012年5月9日に、富士山直下に活断層が存在すること、この活断層を震源とする大規模な地震が御殿場泥流の発生原因となった可能性があることなどを発表した。
静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、三島田町駅から三嶋大社までのマイナーなジオサイトを巡りました。 田町駅東のアンダーパスは、無間ヶ谷という低地の一部住宅地の中にある駒形屋は、昔懐かしい玩具と駄菓子の問屋だが、子供向けに小売りもしている。 住宅地に残る石蔵(東部の石蔵は、大正関東地震後に、建てられたものが多いそうだ。)イズッパコの学校踏切の南側の低地に、現在の知徳高校の前進であった[三島実科高女]があった。老朽化と狩野川台風の被害で、竹原に移転した。
世界かんがい施設遺産に登録された香貫用水の下掘を、取水堰跡付近から塚田川との合流点、更に牛臥水門まで踏査した。全容の踏査には、もう少し必要だ。 取水堰跡付近 香貫大橋の西詰の北に、取水堰に使われたといわれる大石に”内膳堀跡”と刻まれている。。御殿場泥流の転石と考えられる。右には、[香貫用水改修記念]と刻まれた石碑も立つ。狩野川と黄瀬川の合流点にあたるこの場所は”禅頭久保”と呼ばれる。昭和20年の洪水により、下流の大滝堰が切れてしまった。昭和22年に、禅頭久保に軸流ポンプを設置して取水し始めた。今では痕跡は見当たらない。 大滝堰 狩野川が大きく向きを変えるこの場所に、大きな石を弓なりに積んで、大…
静岡県地学会・東部支部主催のジオツアー三島に参加して、田町駅周辺のジオと歴史を歩いてきました。細く迷路のような路地を歩いて、御殿場泥流が堆積して台地と御殿川に浸食された谷地形の間の高低差を上り下りした。 田町駅からスタートして、南のお蔵場台地と侵食谷を歩く。踏切を渡り、南ら伸びる道を眺めると、先端で下がっていることが見える。 お蔵場手前のクランクお蔵場の南から崖を眺める。 無間ヶ谷の先(田町駅北)には湧水があって、御殿場泥流の埋め立て地を浸食した。お蔵場西の崖沿い通る昔の農道
美伊豆主催の[三嶋の神のモノガタリ]を歩いて知るジオカフェ@三嶋大社編に参加した。国学院大学の先生より、三島の地で三島明神がどう受け入れられたのかを傾聴した。一連の知見により、伊豆諸島の火山神であった三嶋大明神との関係が整理された。 七五三や結婚式でにぎわう三嶋大社の大鳥居からスタート三嶋大明神は、三宅島から白浜を経由して、下田街道沿いに遷座して、この地に落ち着いた。 神池などの神社形式は、平安時代に整えられ始めて、鎌倉時代に完成したものであろう。三嶋大社の鎮座する台地は御殿場泥流の高台になるので、水源は北の大場川から神池専用の用水路を引いている。 神門前で説明を聞く。伊豆諸島での噴火活動を鎮…
静岡県地学会・東部支部主催のジオツアーに参加して、柿田川公園にある泉頭城址と丸池・清住緑地を歩きました。 ~柿田川公園 柿田川の源流付近には、西から一ノ洞・二ノ洞・三ノ洞が境川と湧水に浸食されて深い谷となっている。国道の向こう側が三ノ洞の上流で、少し低くなっている。三ノ洞の南側に相当する道路 国道の向こう側が二ノ洞の上流で、手前の家は低くなっている。二ノ洞の南側には、土砂で埋まっているが、二ノ洞が残る。
外国人観光客の制限解除で多くの人々が日本を訪れていますが、中でも富士山登山の人気は相当なもののようです。 ただしその準備や装備はお粗末なもののようで、テレビで繰り返し報道されていますが半袖半ズボンで山頂まで登ろうとするなど危険極まりないようです。 さて、その富士山も決して活動が停止しているわけではなく、噴火の危険性もかなり高い火山です。 一応、国や自治体もその被害想定などというものを出していますが、前回の江戸時代の宝永噴火が火山灰噴出主体であったためにその被害ばかりが想定され、他の噴火被害が考えられていないように見えることについては何度か書いてきました。 sohujojo.hatenablog…