長森の縣の社を遷す。それがどうした、となるかもしれませんが。その場所は、木曽川の旧本流だった境川沿いにある茜部神社のすぐ西隣にある。 そこからすぐ北に式内社比奈守神社があるが、その論社は遠く離れた長森の手力雄神社。同じ神社が二つあるはずはないという常識が通じない、この地域ではあり得る文化なので、現在目の前に見える風景からは忘れ去られるか気にもとめられない、考えただけではただの謎に包まれてしまうことでしょう。それくらい長森という土地に絞って歴史を掘り下げても見えにくくなってるからこそ、遠く離れた茜部に偏在する意味を重く受け止めている。 ここへ来るのは二度目だが。長森の縣大明神は、日子坐(ヒコヰマ…