滝坂道は、世田谷デジタルミュージアムによると、「瀧坂道(たきさかみち)は慶長7年(1602)に江戸幕府が甲州道中を開くまでの府中道で、特に中世世田谷吉良氏の居城であった世田谷城にとっては重要な道であった。この道は府中市瀧坂(東つつじヶ丘)で甲州道中と合流し、江戸時代には「甲州道中出道」と呼ばれていた。瀧坂道の起点は渋谷区道玄坂頂上の付近の坂で、道の起点名から別名「青山道」とも呼ばれている。」だそうです。 その道筋は、赤色で駒場道に示しましたが、街道の旅さん、坂道散歩さんなど多くの人が紹介されています。 調べた中で、滝坂道について記載される一番古い資料は、世田谷の古道の記載を信じれば明治初年の千…