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工藤哲巳

(一般)
くどうてつみ

昭和時代後期の美術家。

工藤哲巳(1935−1990) 略歴

1935  父正義(新制作派協会所属の画家)が東京美術学校卒業後、美術教師として赴任していた大阪で誕生。
1942  父正義帰郷。父の実家から五所川原市七ッ舘国民学校に通う。
1943  父正義、青森師範学校教授となる。
1945  10月、父正義死去。享年39歳。その後、青森師範学校美術科の講師となった母と共に、弘前市に移り住み、朝陽小学校、弘前第四中学校に通う。
1948  母の郷里岡山へ移る。丸の内中学校(岡山)へ転校。
1950  4月、操山高校(岡山)入学。
1953  3月、操山高校(岡山)卒業。東京芸術大学受験に失敗。東京、阿佐ヶ谷の三輪研究所へ通う。
1954  4月、東京芸術大学に入学し、林武教室に所属。
1958  東京芸術大学卒業。
1957-62 読売アンデパンダン展、グループ「鋭」展を中心に活動。
1962  第二回国際青年美術家展大賞受賞。5月4日、夫人とともにパリに渡る。
1975  岡山にて「=工藤哲巳・吉岡康弘= 岡山の生んだ異才とその周辺」展開催。
1977  サンパウロ・ビエンナーレ特別賞受賞。パリ、ポンピドーセンター開館記念展出品。
1978  ドイツ学術交流基金(DAAD)により一年間ベルリンへ招待される。
1981-82 「1960年代−現代美術の転換期」展(東京、京都国立近代美術館)出品
1982  「第1回現代芸術祭 -瀧口修造と戦後美術」展(富山県立近代美術館)出品
1983  帰国、弘前市にアトリエをかまえ、日本とパリを往復する。
1984  「津軽文化褒賞」(五所川原市)受賞。同時に夫人へ「内助功労賞」。「現代東北美術の状況展」(福島県立美術館)、「現代絵画の20年」展(群馬県立近代美術館)出品。弘前市立博物館にて父正義の回顧展開催。
1986  「ひとりの作家の歩んだ道 工藤哲巳の世界」展(弘前市立博物館)
1987  東京芸術大学油画科教授となる。
1990  11月12日、結腸癌のため、東京都千代田区の三楽病院で死去。享年55歳。
1994-95 「工藤哲巳回顧展−異議と創造」展(国立国際美術館、岡山県立美術館)
  以上 青森県立美術館ウェブサイト「工藤哲巳展を終えて 三好徹(学芸員)」より転載
2002  工藤哲巳展「反芸術の旗手の軌跡 東京−パリ−青森」(青森県立美術館)

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