第25章 弘法・慈覚の誤りの証拠 弘法大師は、天長元年の二月、大旱魃のあった時に、まずはじめに守敏(しゅびん)が祈雨して最初の七日間に雨を降らせた。しかし、ただ京の都に降っただけで、田舎には降らなかった。 次に弘法が引き継いで祈ったが七日間雨の気配はなかった。次の七日間には雲もなかった。三度目の七日間には、天皇が和気真綱を使者として御幣を(天皇の庭園である)神泉苑にささげられたところ、三日間雨が降り続いた。 弘法大師と弟子たちはこの雨を成果を奪い取って、自分たちが降らせた雨として、現在まで四百余年、「弘法の雨」と称している。 慈覚大師は夢で日輪を射たと言い、弘法大師も大うそをついて「弘仁九年春…