1876〜1922 熊本県生まれ。東京大学卒業後,東京高等師範学校・大阪外国語学校教授を歴任。わが国の神話・昔話・伝説研究の先覚者。 比較研究に主眼を置いた散文伝承の研究で知られる。とくに比較神話学の基礎を築いた業績は高く評価されている。 1913年柳田国男とともに雑誌「郷土研究」を刊行し,日本最初の民俗学専門誌として,後世に多大の影響を与えた。
(2024/3/25) 『日本怪異妖怪事典 九州・沖縄』 朝里樹(監修)、闇の中のジェイ(著) 笠間書院 2023/9/30 <鬼八 (きはち)> ・走健(はせたける)(または「はしりたける」と読む)、鬼八法師、鬼八三千王とも呼ばれる。鬼八は熊本県阿蘇の豪士とも、宮崎県高千穂蘭の里の部族の長、宮崎県二上山乳ヶ窟(ちちがいわや)を根城にしていた魔性の者ともされる。 ・熊本県では次のように伝えられている。 阿蘇大明神こと健磐竜命(たけいわたつのみこと)は鬼八という豪傑を家来にしていた。健磐竜命は弓の名人であり、弓を射ることを楽しみにしていた。鬼八は空を駆けるように足が速く、また怪力を有していて、健…
宮川寅雄『秋艸道人随聞』(中公文庫 1982年) 小笠原忠編著『会津八一と奈良』(宝文館出版 1989年) 10月下旬に、奈良日仏協会の催しで、会津八一の歌碑巡りをすることになりました。その予習を兼ねるのと、これまで奈良のお寺をまわるたびに会津八一の歌碑があって、どんな人だろうと興味を持っていたので、関連本を二冊読んでみました。 宮川寅雄、小笠原忠ともに、会津八一が早稲田高等学院で英語を教えたときの教え子で、ともに会津八一に傾倒し、宮川寅雄は、共産主義活動を経て、東洋美術の教授となり、小笠原忠は、小説家となって、会津八一との思い出を小説化した作品で芥川賞候補になったようです。 ともに、弟子の立…
6月終わる時点でGWに行ったところの記事を書いている、夏休みの宿題は最終日にやる(間に合ってない)主義の島鉄です。 この前記事にした檜原村で、一番行きたかった(行ってよかった)スポットを紹介していませんでした。 それは……。 急斜面に上にある山の小さな分校 数馬分校です! まず数馬がどこなのか、檜原村の地理に詳しくないヒト*1に説明いたします。 この地形図、たくさんの文(学校)の地図記号が書かれていて哀愁を誘います。 この懐かしさを覚える縄跳びの上に飾られている地形図の左下らへんです。 え?伝わらないですか?? ザックリ言うと、山を越えるとお隣は山梨県……檜原村のなかでも奥座敷と言ってよい地域…