50年代のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは内野手。背番号は2→16→1番。
1918年11月15日生まれ。台湾・嘉義出身。
嘉義農林から全鹿児島を経て、1949年、別府星野組に入り都市対抗野球で優勝。
1950年、弟の今久留主功と共に毎日オリオンズの創立に参加し、入団。
同年、西鉄クリッパーズに移籍。二塁手として活躍。
1954年、1番打者として西鉄ライオンズの初優勝に貢献した。
1956年、現役引退。
1957年、西鉄ライオンズのコーチに就任。
1967年、フロント入り、スコアラー・スカウトを務める。
1977年、退団。
1986年2月15日、肝硬変のため福岡市中央区の病院で逝去。
親類に今久留主成幸。