森寺城二ノ丸から見る本丸の石垣 能登畠山氏が、越中の拠点として築いた城。当時は湯山城と呼んでおり、一次史料にはその名で登場する。 越中と能登を結ぶ街道は、阿尾川沿いに北上して荒山峠を越える荒山街道が主街道であったが、この街道筋を扼す機能を持った城であった。 具体的な築城時期を史料から裏付けすることはできないが、16世紀前半の遺物が出土していることから、戦国時代初期から拠点として機能したのは間違いなく、時代背景を考えると、宗家である河内畠山氏の要請で能登守護畠山義総が越中に兵を出した、永正16年(1519)から翌年に掛けての越中守護代神保慶宗の討伐の際に築かれたのかもしれない。ただ、能登畠山氏は…