時は室町時代末期。 天下は八代将軍・足利義政の代であったが、嘉吉の乱以降の混乱により既に幕府の権威は地に堕ちており、地方では地場の有力諸侯がほぼ独立した権力を握り始めていた。 ここ関東も例外ではなく、関東管領に任ぜられた山内上杉家が関東一帯を支配。本来は鎌倉公方を補佐する役割だったはずの彼らが、幕府の意向を後ろ盾とし、次第に主君・鎌倉公方に対し平然と対立するようになっていった。 この対立が頂点に達したのが享徳三年十二月二十七日(1455年1月15日)に起きた、鎌倉公方・足利成氏による関東管領・上杉憲忠の暗殺事件。これをきっかけとし、山内上杉家とその分家・越後上杉家、そして山内上杉家の家臣として…