御霊神社楼門前から西に、「猿田彦神社」から烏丸通を越えて衣棚通の「擁翠園」。 「擁翠園」は、室町幕府第三代将軍足利義満の管領細川満元が応永年間に金閣寺造営の余材で造営した邸宅が始まりで、1426年細川満元が没すると寺院に改められ「岩栖院」と称しましたが、応仁・文明の乱以下京都に打ち続く戦乱で荒れ果て後に徳川家康に依り、元々の刀装彫金師・後藤家の旧領で有ったので後藤家・当主の後藤長乗に与えられ加賀藩・前田利常の資金援助などで小堀遠州によって庭が補作整備された後天明の大火で焼失、明治に成り三井家の手に渡り別邸と成ります。 戦後は旧郵政省の所有に移り京都貯金事務センターの敷地内庭園として春・秋に一般…