細川幽斎

細川幽斎

(社会)
ほそかわゆうさい

戦国武将。歌人。諱は藤孝。肥後熊本藩細川家の藩祖。
三淵晴員の次男で、伯父細川元常の養子。室町幕府第12代将軍足利義晴の御落胤ともいう。
足利将軍家に仕え、第13代将軍足利義輝松永久秀三好三人衆らの襲撃を受けて殺害されると、奈良に居た義輝の弟(のちの足利義昭)を担ぎ出し、朝倉義景ついで織田信長を頼って、義昭の将軍就任を実現した。
しかし、義昭と信長の関係が悪化し、天正三年(1573)に義昭が打倒信長の兵を挙げるとこれを見限り、以後織田氏の部将として活動。
明智光秀の与力として丹波・丹後攻略に尽力し、平定後は丹後一国を拝領。
本能寺の変では、明智光秀からの要請を断り、剃髪して家督を嫡男細川忠興に譲った。
関ヶ原の戦いでは東軍に属して丹後田辺城に篭城。忠興が主力を率いて出陣していたため、少ない兵で西軍方の大軍に包囲されたがよく持ちこたえ、最後は勅命を受けて開城している。


また、有職故実に通じた教養人であり、和歌では三条西実枝より古今伝授を受けている。
私家集に「衆妙集」、歌論に「幽斎翁聞書」などがある。

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