平安時代末期の武将。平忠盛の六男で平清盛の異母弟・平忠度(たいらのただのり)のこと。 官位が『薩摩守』だったことにちなむ。
狂言の一つで、旅の僧が「平家の公達(きんだち)薩摩守忠度(さつまのかみただのり)と言って、無賃で船に乗ろうとして失敗する話からそれをもじってできた車・舟などに無賃乗車をする講話。 単に「さつまのかみ」と言うことが多いが、最近ではほとんど使われないとされる。
2024-03-06 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 26 日>(友引 己巳 三碧木星) Ebba Ebbe 第 10 週 第 27420 日 その頃、薩摩守忠度は、ある皇女の娘である女房のもとによく行き来された。ある時、その女房を尋ねると先客があった。その先客といふのは身分の高い女房で、いつまでも駄弁ってをられる。小夜もはるかに更けて、それでもまだ帰らうとなさらない。しかたがないから忠度は軒端でぶらぶらと時間を過ごしたが、そのうちバタバタと扇をあらく煽ってみた。女房は「野もせにすだく虫の音よ」とやさしい声で口ずさまれた。すると忠度は直ちに扇を使ふのをやめて帰ってしまった。何日か後にまた…
2024-03-05 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 25 日>(先勝 戊辰 二黒土星)啓蟄 Tora Tove 第 10 週 第 27419 日 平家追討の院宣を文覚が伊豆国の頼朝に届けた頃、福原の公卿たちは会議をした。「頼朝のもとに軍勢が揃はないうちに急いで討手を下すべきであらう」かくして大将軍には小松権亮少将維盛(重盛の嫡男)、副将軍には薩摩守忠度(清盛の異母弟)と人選が決まった。その勢三万餘騎、9月18日に福原の都を立って、19日には(今は旧都となった)京に着いた。そして翌20日には、もう東国へ向けて出発である。維盛は23歳。武装したその姿たるや絵に描くにも筆も及ばないほど美しい…
軍記物に登場する武将は文武両道な人がよく登場しますが、平忠度もその代表格の一人ですね。取っ組み合いしてる右側の人が忠度卿。左側で顔が見えないのが岡部六弥太忠澄。 〇平家の貴族薩摩守忠度卿は和歌の上手にましまして 俊成卿を師として和学に秀で給ひしは世の人の知るところなり 一門一ノ谷の合戦に西海へ皆走るを見て始終(意味…最後、終わり)の負け戦と察しければその身一人覚悟をきはめ踏みとどまつて源氏と戦ふ事幾たびといふ限りを知らず 手傷を数多負ひながら此日もすでに暮れ果てて 気は疲れ 馬動かねば徒歩立ちとなりて磯伝ひに一人落行く後ろより 源氏に名を得し武蔵の国の住人岡部六弥太忠澄といふ者 追つかけ来たり…
2023-06-30 (金)(令和5年癸卯)<旧暦 5 月 13 日>(大安 己未 五黄土星) Elof Leif 第 26 週 第 27170 日 (しばらく日本に行ってゐたこともあり、平家物語を手で写し取る作業が中断してしまって、スウェーデンに戻ってもなかなか再開できない。せっかく始めたことなので、ペースが落ちたとしても続けられるだけ続けたい。前回の続きは「三井寺炎上」からになる。) 日頃よく騒ぐのは、比叡山の大衆の方であるのだが、今回は彼らは静かであった。「南都の興福寺と三井寺とは、高倉の宮をかくまったり、お迎へに参ったりした。これは朝敵である。であれば三井寺も南都も攻めなければならない…
いかがお過ごしでしょうか。 今日から少しずつ遙かなる時空の中で3Ultimate記事を書きたいと思います。 今更だとは思いますがネタバレを含みますので苦手な方はお戻りください。 スチルや台詞など容赦なく載せていきます。