通例によれば我々はこれまで、青森県「弘前公園」、新潟県「高田公園」、東京都「上野恩賜公園」の三所の桜花爛漫たる春の宵を、「日本三大夜桜」と呼称してとりわけ愛でて来たのであるが、私見によれば、今後も少なくとも当分は、この一般的傾向が続くものと推定*1されるのである。
*1:尤も、これら麗しき地の他にも我國は、桜の名所・名蹟には事欠かない、ということは論を俟つまでもないれっきとした事実である。…またところで更に云えば、かかる桜の咲き誇り、そして遂には咲き乱れゆきさえしつつ散りゆく「宿命(「さだめ」)」を我々の眼前に呈する諸箇所は、何も物理的に限定せられるだけのものらであるには非ずして、寧ろ却って吾等が同胞らの心のなかにこそ、正に精神的に存在しうるところのものであり、それ故にそれらの「桜の森」は我々自身の、謂う所の言うなれば「心眼」を以てこそ、実際に多数確認せられうるところのものである筈なのである。…がしかしながら本稿は、之に就いての犀利なる説明を必ずしもよくなしうべきところではないのだ、ということもまた、一方に於ける「事実である。」