吉野ヶ里で新発見が有りました。 今後の詳細調査でどのように展開するかはまだ分かりませんが、発見に至る前の5月初めに倭面土国と九州の地名を結び付けた記事が出ていました。 中国歴史書に登場、最初の日本人「帥升」 弥生時代の吉野ケ里の王か 邪馬台国論争に一石 七田忠昭・佐賀城本丸歴史館長が新説 | 佐賀新聞 2023/05/05 <「面土(めと)」(面土国)の位置には諸説あるが、七田館長は古墳時代の行政区分に用いられた「米多(めた)」に通じるとして、現在の上峰町米多(めた)や、吉野ケ里の「目達原(めたばる)」に引き継がれたと推測する。 出土遺物では、吉野ケ里遺跡周辺の複数の首長墳墓から、中国の鏡や鉄…