謝国明は九州御家人に協力し石の砦を築き上げた。そして運命の弘安四年。日蓮や無学祖元が予言するように、この年に蒙古との戦が必ず起こると思い定めた時宗は、宗政に初めて不安を吐露する。宗政は時宗の代わりに自分が石の砦に立って兵を率い必ず勝利すると誓い、博多へ出立していった。同じ頃、大都に潜入していた佐志房はクビライ暗殺を決行するが失敗、桐子と時輔の前で殺される。鎌倉では、泰盛が家時らを率いて、御家人と幕府を柱に国難に立ち向おうと時宗に進言する。時宗は、もはや今の柱の腐りかけた幕府を守るつもりない、敵の蒙古では生まれも身分も異なる者たちが皆で政に当たるという、それが国というものの本来の姿なのではないか…