箱館を後にしたペリー艦隊は、下田に到着。 下田にて、日米和親条約の細部を詰める協議が始まりました。 この下田での交渉で、箱館については2点が決まりました。 一つは、箱館では石炭の補給をしなくてよくなったこと。 二つ目は、遊歩区域の広さについて。 そう、箱館でペリーと松前勘解由が激しく争った項目です。 で、下田でもペリーは揉めたそうです。 幕府は当初、箱館交渉にも関係した村垣範正の「箱館に遊歩区域については、現地調査をした上で、来年3月の開港時まで決定しない方がいい」という意見を受け、ペリーに「来年3月に決定したい」と伝えたところ、ペリーはこれを強く拒否! 幕府に即時決定を迫ります。ここでもペリ…