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松浪健四郎

(スポーツ)
まつなみけんしろう

衆議院議員(新進党→自由党→保守党→保守新党→自由民主党)。
元アマチュアレスリング選手。


社団法人・日本アフガニスタン協会理事長
財団法人・日本レスリング協会副会長
日本体育大学大学院講師(比較スポーツ文化論、スポーツ人類学)


衆議院議員時代は度々アフガニスタンに訪問し平和や復興のために務め、またシンボルであるチョンマゲ*1から「チョンマゲ先生」「チョンマゲ教授」「チョンマゲ議員」と親しまれた。



日本体育大学体育学部武道学科卒。日本大学大学院博士課程修了。
1996年、新進党から衆議院議員選挙(大阪19区)に立候補し初当選。
1998年、小沢一郎氏率いる自由党結党に参加。
2000年、自由党から分党した保守党結党に参加。衆院選再選。
同11月、野党議員の党首・扇千景氏への最悪下劣なセクハラ野次*2に立腹し、壇上からコップに入った水を野党側席に投げつけたことにより物議を醸す。いわゆる「水かけ事件」。懲罰委員会により二十五日間の登院停止を命じられる。
2002年、第一次小泉内閣において外務大臣政務官に就任。
2003年、保守新党結党に参加。
同5月、暴力団の関係者が会長を務めていた建設会社に秘書給与を肩代わりしてもらっていた事が判明し、道義上の理由で野党側から辞職勧告決議案が出されるが「私は信念に基づいて議員辞職は致しません。」と拒否し、決議案も否決される。同じ頃トラブルが取りざたされていた鈴木宗男氏(自民党)、辻元清美氏(社民党)両氏とは違い特に犯罪をし起訴された、というわけではない。
同11月衆院選に落選。
2005年8月15日、衆院選大阪15区に自民党公認で擁立される。同日夜、事務所を通じて「公認をいただき、大変うれしく思います。ご期待にそえるように全力でがんばります。改革・実現のために、最大の努力をさせていただきます」とのコメントを発表。→2005年9月比例区で当選

ちなみに、松浪健太(自民党、大阪10区)の叔父にあたる。

ハンパに生きるな―もっと泣け、もっと悩め、一度は地獄に落ちてみろ (ゴマブックス)

ハンパに生きるな―もっと泣け、もっと悩め、一度は地獄に落ちてみろ (ゴマブックス)

*1:あれは髷だけどチョンマゲでは無いと思う

*2:「扇と何発やったんだ」[と、言った議員は民主党の永田寿康とされるが、本人は否定している。]

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