沖縄歌謡漫談家(1929-2005)大阪府生まれ 「てるりん」の愛称で親しまれる。戦後沖縄ポップスの祖などといわれた。 1990年に「コザ独立国終身大統領」に就任。91年の水虫薬「ポリカイン」CMへの出演(同年のCM大賞を受賞)翌92年には映画「パイナップル・ツアーズ」への出演と県内外でマルチに活躍。 2005年3月10日肺炎のため惜しまれつつこの世を去る。享年75歳。 長男は照屋林賢
沖縄
こんな夢を見た。 日差しの眩しい初夏の朝だった。わたしはなぜか石川市のリュウキュウ松が立ち並ぶ海岸に立ち、ぼんやりと海を眺めていた。 4年前に沖縄市に移り住んだわたしは、県北部に行くときには太平洋側を走る国道329号線を使うので、沿道のこの辺りにはなんとなく土地勘がある。アラモードというケーキ屋さんの1個50円のブローニーには、去年からずいぶんとはまっている。 だけれども、なのだ。必ず目にするはずの火力発電所の2本の煙突も、夫の好きな中日ドラゴンズがキャンプをしていた市営球場も、いやそれどころか、それらが建設されていたはずの埋め立て地そのものが、すっぽりと姿を消している。 おやっと思って石川岳…
「ははは、アキさん、それとっても贅沢な夢だって。ブーテンさんと、リンスケさんにフォーシスターズ。いま、そんなステージがあったらチケットとれませんよ、絶対に」 昨晩見た夢の話をすると、倉敷さんはやはり大笑いをした。今日は仕事が早く終わったと開店時間の30分前にふらっとやって来ては、いつも通りカウンター席の一番奥に座っている。「誘えばばよかったですねー、倉敷さん、リンスケさんの大ファンですからねー」 カウンターの中でオリオンの生ビールの樽をサーバーにセットしながら、わたしも面白おかしく受け応えする。夫のユージは奥の厨房で野菜を切りながら会話に耳を澄ましているようだ。 ここは「サンバ居酒屋オ・ペイシ…
「今日は晴れてよかった!」 自宅のベランダから海を見晴らしていた夫が、小さくそう叫んだ。彼の高校の体育祭の開会式では、学生で組織する審判団の委員長が、そのひと言をだけ言うのが伝統なんだとか。たとえその日が小雨交じりでも。もっとも今朝は雲ひとつない快晴。夫の横顔は、高校生に戻ったかのように生き生きとしていた。 今日はまず午前10時から、お昼を挟んで午後2時まで、お店の前の遊歩道で当日練習会を予定している。昨日の夜までに県外参加者30名程が沖縄に到着しているので、彼ら、彼女らにはパレードの段取りを覚えてもらわなくてはならないからね。 九時には夫と息子とともにお店へと向かう。今日は一日、店内と2階の…
3時を回ると、女性陣はそろそろ着替え始める時間となる。特にビキニの女性は念入りな準備が必要だからね。県外参加者の多くは近くのデイゴホテルに部屋を取ってるので、そこで着替えるようだ。 わたしたちコミッサン・ジ・フレンチの衣装は、長袖の上着にミニスカート、そして帽子にマントと簡単なので、4時過ぎから着替えようかと思っている。一般参加者の人たちの着替えも、そのころを予定している。 ただし、リサちゃんは着替えなきゃいけないと、しばらくくつろいでいたお店から、ぼちぼち2階へ行こうかと言う。なんたってサンバクィーンだからね、きれいに着飾ってちょうだい。わたしは手伝ってあげるよと、一緒に階段を上がっていった…
「全然、星流れないですねー」 砂浜に仰向けになったリサちゃんが星空を見ながら、しきりにそうつぶやく。 「おかしいよねー、ニュースでは今日が見ごろだって言ってたのに」 幸江さんも、一生懸命、流れ星を探している。 「隣のトリイ・ステーションが明るいからじゃないですかー」 わたしもそのふたりの真ん中に寝転んでいる。 「まあいいさ、3人だけの打ち上げさー、まずは乾杯しよー」 幸江さんがコンビニの袋からビールを3缶取り出すと、 「いいですねー、あたし、今日、店休んでよかったです」 リサちゃんがすかさずプルトップをシュッパっと鳴らした。 今夜はしし座流星群が一番流れる日だということで、3人でユーバンタの浜…
高嶺剛監督『ウンタマギルー』は1989年公開。実に35年も前の作品で、さすがに劇場では鑑賞していないが、レンタルビデオで初めて観たと記憶している。なおレンタルビデオと言っても、本当にビデオテープで、レンタルDVDですら流通していなかった。*昔々、音楽や映像などを録音・録画する媒体には、ビデオテープという磁気テープが利用されていた・・ ・・・こんな名作が、レンタルDVDにすらなっていなかったのだ。もちろん、未だにBlu-ray化はおろか、DVD化すらされていない。現在は一部のストリーミングやYouTubeで視聴可能らしいが、素晴らしい作品なので、高嶺剛監督の劇場用長篇第1作『パラダイスビュー』と…
プレミアムカフェ 沖縄”笑いの巨人#伝 2020年6月11日 追記 偶然宮本亜門さんの北京旅を見てから、沖縄旅を見ている。 沖縄旅では照屋林助の軌跡を追いかけている。竹富島にも行った。 そこで出会った人は50年前に俺が出逢った人だった。当時二十歳の娘さんがおばあさんになってそこに居た、北京旅では新しい北京を旅している宮本亜門さんが羨ましかったが、竹友島では、「私が50年早かったですよ」と自慢したい気持ちにもなった。 テレビの旅は心の旅も誘いだしてくれるのだ、素晴らしい映像だが、消去しようと思うからここまで見たのだ。3年前に録画したが最後まで見ていなかった。永久保存が一期一会のこころを失わせよう…