1953年2月28日 吉田茂首相は、 社会党の西村栄一議員に対して その質問の答えを「バカヤロー」 と発言して、それをマイクが ひろって、3月の解散の糸口に なりました。吉田茂はアメリカ合衆国との 安全保障条約を巡る問題で 政権内外での軋轢が続いて いました。 吉田内閣は1953年に発足し、 新たな安保条約に基づく 日米関係の推進を進めて いましたが、これに 反発する声が広がりつつ ありました。 社会党や共産党、そして 自民党内の一部の議員らが 反対し、吉田内閣の解散を 求める動きが拡大して いました。1954年1月、馬鹿野郎事件が 勃発しました。 吉田内閣の一員である 東京都知事の馬場良と、…