松瀬青々(まつせ せいせい) 本名弥三郎
明治2年4月(1869年)、現大阪市中央区の北浜4丁目(大川町)で炭問屋「加賀屋」の長男として生まれる。
旧住友銀行本店前(生家)に、「松瀬青々誕生碑」がある。
第一銀行(第一勧業銀行→現みずほ銀行)大阪支店に入社。
後、朝日新聞社に入社。(朝日俳壇の設置を進言、選句を担当)
大阪俳壇の重鎮、関西ホトトギス派の指導者とされ関西の高浜虚子と言われた。
昭和12年1月9日(1937年)没 1月9日を青々忌とし偲ぶ(糸瓜忌 9月19日 正岡子規)
「子規忌の柿青きながら色つきてあり」 青々