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石坂公歴

(一般)
いしざかまさつぐ

1886〜1944 三多摩の豪農で自由党の指導者のひとり、石坂昌孝の子。神奈川県の青年民権家。
北村透谷も仲間であり、透谷の妻、石坂ミナは公歴の妹にあたる。
困民党蜂起や加波山事件、秩父暴動などで多数の民権運動家が逮捕処刑され、さらに自由党も解党、民権運動は終焉期を迎える。
大阪事件で、父・昌孝が逮捕され、傷心の公歴は、1886(明治19)年渡米。
1890(明治23)年、日本人労働者50人を率いてニューホープのホップス摘採に従事した。サクラメント平原での日本人労働者の先駆とされる。
1888(明治21)年、山口熊野、中島半三郎らとともに「新日本」を発刊。「体裁の整った初めての新聞」とされる。
その後、のち西部の開拓者、アメリカ、カナダ、アラスカを転々と放浪するが、事業に失敗し、1944(昭和19)年、収容先のマンザナ強制キャンプで失明のうちに、数奇の人生を閉じる。


山田風太郎の小説「明治波濤歌」に、その若き時代が描かれている。

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