歌手 福岡・小倉出身の芸者。1931年に上京し、赤坂小梅として歌手デビュー。1933年の「ほんとにそうなら」で大ヒットさせる。また、「黒田節」を広めたのも彼女であり、「小梅の黒田節か。黒田節の小梅か」と言われるまでになる。 1992年1月に死去。2007年にドキュメンタリー映画「小梅姐さん」を完成させた。
一条真也です。13日はずっと鬼滅本の原稿を書き、疲れました。気分転換に、このブログ記事を書いています。ブログ「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」を読んだ読者の方から、「一条さんがお笑いに関心があるとは意外です」とか「お気に入りの芸人さんもいるのですね」などと書かれたメールが届きました。 コウメ太夫(Wikipediaより) そりゃあ、わたしにだって、お気に入りの芸人ぐらいいますよ。『論語』ばかり読んでいる聖人君子じゃありません、チクショー! ということで、お気に入りというより、一番気になる芸人は、コウメ太夫! 昔は、野生爆弾くっきーでしたが、今はコウメ太夫です。1972年、東京都杉並区出身。ソ…
こんな本を読みました。著者は第二次ベビーブーマー世代の1974年生まれの方で70年安保真っ只中です。多分左巻きなんだろうなぁと思いながら読み始めました。目次はこんな風でした。 読み始めてすぐに、著者は東京生まれ東京育ちの記述が有り世代違っても共感出来るかなと期待しました。60年安保は訳もわからずデモごっこしてたし70年安保は大学生なんで暴れるんだろうと思いながらの傍観でした。ただ取り上げられている歌はどれも知って居るものばかりです。1曲ずつYouTubeで聴いてから各章を読んで行きました。4部構成で各々部毎にタイトルがついています。 希求と喪失編 1.「炭坑節」(赤坂小梅ほか) 2.「テネシー…
第25週「ズキズキするわ」(木) 放送日 2024年3月21日 概要 愛子は、翌日の体育の時間に足の速い転校生と競走することになっていた。しかし、勝てる見込みがなく、愛子は学校を休みたいと言いだす。スズ子は、自分も水城アユミとの新旧対決から逃げたかったが、今は逆に楽しみだと話す。そして、逃げるかどうかは愛子が自分で結論を出すようにと伝える。翌日、学校に行くかどうか迷う愛子を家に残し、スズ子は羽鳥善一のもとに向かう。(NHKオンデマンドの解説より) 感想 前回、 例えば「水城アユミに『ラッパと娘』を歌ってもらうことにしましたワ、あの子がどんな風に歌うのか、ワクワクします~」という風に言ってほしか…
先日紹介した、ゆふいんの森号の画像。 JR九州イベント時の画像が有りました。 乗車区間は小倉駅~彦山駅の往復でした。 北九州市のゆるキャラ「ていたん・ブラックていたん」 ていたんは低炭素の意味です。 運転席も見れました。 寒い日でしたよ。 青春の門の舞台、、香春岳。 香春町のゆるきゃら「かっきー」くん 柿が名産だったかな? 川崎町のゆるきゃら「小梅ちゃん」 全然知らなかったが「炭鉱節」とか「黒田節」をヒットさせた方だそう。 この方です。赤坂小梅さん。 小倉の置屋に在籍して「梅若」の名で 唄の上手さには定評があり「小倉に梅若あり」と 言われたそうです。 明治生まれの方ですからお若いころは凄い美人…
ぼくはYouTubeの動画で歌を覚えることが多いですけど、まだ自分が生まれていなかった時代の昭和の歌の動画も見ることができたりして、その頃の歌もまたパワーがあって人々を楽しませていたんだと感じることが多くあります。 例えば、昭和の初期から昭和30年代頃までは、いわゆる芸者歌手が歌の流行の一角をなしていた時代がありました。芸者歌手のトップは市丸さんだと思いますけど、その他にも小唄勝太郎さん、美ち奴さん、赤坂小梅さん、日本橋きみ栄さんなど、それぞれの芸風を生かした歌手の方々が揃っていました。 今回は芸者歌手の中でも神楽坂はん子さんの「ゲイシャ・ワルツ」と「こんなベッピン見たことない」を聴いてみまし…