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川本輝夫

(一般)
かわもとてるお

水俣病闘争の顔と言われた。とくに未認定患者のための運動に注力した。 1931年、水俣市月浦で5人兄弟の末っ子として生まれる。父と4人の兄はすべてチッソ勤務。1955年頃、自身が発病。65年には劇症の父を看取る。 68年認定を申請するが棄却され、70年の再棄却に対する行政不服審査請求を経て、71年、棄却処分取消の環境庁裁決を経て認定される。その間、独力で勝ち取る。チッソとの自主交渉の道を選び、1年8ヵ月に及ぶ東京本社前に座り込んだり、多彩な運動をリードした。 73年、チッソとの補償協定に調印したが、以後も数多くの裁判を起こし、未認定患者のための運動を続けた。 83年には水俣市会議員に当選し、議員バッチはしない、長時間の質問などで議会を“活性化”させた。99年2月、肝臓ガンで死去。

夫人のミヤ子さんは今年から水俣病資料館の語り部として活躍。

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