1941年暮れから1942年5月までの東部戦線。ドイツ軍は進撃から一転して後退を重ねたが、まだ夏に反攻する力は残っていた。 昭和17年(1942) 4月7日、魚類品切れとなり今明日銀座通辺の日本料理屋は休業の貼り札を出した。 4月11日、近ごろの茶の湯の流行は日本精神涵養のためだという。足利精神北朝精神の誤りであろう。 4月17日、八重桜が散り残っているのに狂風が枝も折れよとばかりに吹きすさむさまはいかにも戦乱の世らしい心地がする。 4月18日、芝口の金兵衛に行き初めてこの日午後敵国の飛行機が来て爆弾を投下したことを知った。火災の起こったところは早稲田下目黒三河島浅草田中町あたりという。歌舞伎…